『No Woman, No Cry』に隠されたアナザー・ストーリー

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

ボブ・マーリー生誕78周年

2月6日はボブ・マーリーの誕生日。生きていれば78歳。

『ローリング・ストーン』誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」にも名前を連ねるレゲエ界のレガシー、彼の音楽と思想は今日まで数多くの人たちに多大な影響を与えてきたことは言うに及ばず。ですよね。

さて、数ある代表曲のなかのひとつ『No Woman, No Cry』について、ちょっと書かせてください。

1974年のアルバム「Natty Dread」に収録され、翌年にはロンドンのライアムシアターで披露された同曲の「Live!」がスマッシュヒットを記録。これまでにリンキン・パーク、フージーズ、ニーナ・シモンをはじめ、多くのミュージシャンによってカバーされた名曲中の名曲です。

貧困に苦しむ人々の生活を支えるこのアンセムは、マーリー自身が首都キングストン近郊のスラム「トレンチタウン」で過ごした日々のなかから生まれた、希望と温情を内包した楽曲なんですが……その『No Woman, No Cry』作曲者のクレジットに登場するヴィンセント・フォード(Vincent Ford)という人物をご存知でしょうか?

同じトレンチタウンに暮らすピーター・トッシュ、バーニー・ウェイラーとともに結成し音楽活動をスタートさせたウェイラーズ(The Wailers)にもフォードという名は存在しません。

それが『No Woman, No Cry』をはじめ、1973年から76年にかけてリリースされた12曲にクレジットされているフォードという人物。

じつはこのお方、マーリーのジャマイカ時代の友人だそうで、同じトレンチタウンのスラムで知らない人はいない有名人なんだとか。

幼い頃、糖尿病を煩い足を失ったフォードでしたが、そんなハンディキャップをものともせず、スラムでスープ・キッチン(炊き出し)を営んでいたそうです。

貧困にあえぐ地域で貧しい人々に提供される温かいスープ。立ち上る湯気を楽しみにしていた人々のなかに幼少期のマーリーがいました。

楽曲の真の作者はマーリー自身、けれど友人であったフォードにその印税を贈るべく作曲者のクレジットにフォードの名を記していたのではないかという世間の推察は、たしかに想像に難くありません。

実際、版権をめぐって訴訟を起こされたことも度々あったようですが、生前、慈善活動や地域社会の支柱になりたいと語っていたマーリー。トレンチタウンに大きな貢献をもたらすため、奉仕を惜しまなかった友人フォードへと印税の一部を贈ることでいくらかでも生まれ育ったコミュニティに還元できると考えていたのかもしれません。

1981年、36歳の若さで脳腫瘍を患い亡くなったマーリー。フォードもまた2009年に亡くなり、真相はふたりの中にしかありません。

が、長年にわたって彼らがキングストンのコミュニティに遺してきた思想は、きっと新しい時代のボブ・マーリーやジャマイカン・サウンドを生み出す原動力となるに違いありません。

というわけで、永遠のアンセム『No Woman, No Cry』から、今日をスタートしてみてはいかがでしょうか?

© Bob Marley / YouTube
Top image: © Express Newspapers/Getty Images
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。