人類未到のアノ場所。「最初は誰?問題」がカオスな件

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

人類が初めて北極点に到達した日

北緯90度、地軸が北方で地球表面と交わる点。人はそれを「北極点」と呼びます。

過去さまざまな冒険家たちが、人類未到の最北の地に挑みました。北極点到達を目指した最初の探検隊は、イギリス海軍少佐ウィリアム・エドワード・パリー率いる一団。1820年、ランカスター海峡を東進して北極海へ達し、北緯82度45分まで到達しました。

その後もアメリカ、ノルウェー、スウェーデン、イタリアの冒険家らが1900年までに北極点を目指したものの、遭難、不慮の事故などで命を落としたり、北緯90度には至らず断念したり。

閉ざされた最果ての地に人類が初めてたどり着いたのは、1909年4月6日のことでした。冒険家でアメリカ海軍のロバート・ピアリーが北極点に到達。星条旗の一部を氷原に埋めて喜んだそうです。

ピアリーは北極圏にあるカナダ最北部のエルズミア島コロンビア岬より、犬ぞりを使って北極点に達したそうですが……のちのちわかったことですが、実際には北緯89度57分までの到達だったことが判明しました。

のこり3分。距離にして北極点から約6km。

ほぼ北極点ではあるんでしょうが、世の冒険家たちからすればこの「あとわずか」がどれだけ重要なのかは想像に難くありませんよね。

同じアメリカ人冒険家にフレデリック・アルバート・クックという人物がいます。彼は1891年にピアリーのグリーンランド初探検に医師として参加していました。

クックもまた北極点を目指したひとり。そして、彼はピアリーが到達した(と本人が主張した)およそ1年前の1908年4月21日、北極点到達していたというのです。

ピアリーの帰還後、最初に北極点に到達したのは自分だと主張したクックでしたが、偉業達成で後世に名をのこすことになったのは、ロバート・ピアリーのほう。

いったいどちらが先だったのか? 当時それを証明する術はありません。

しかし、当時ピアリー探検の後援者たちにはナショナルジオグラフィック社をはじめマスコミ関係者も多く、世に広く喧伝できたのはピアリーだったから、という見方もあるようでして。結果、クックの主張は反故にされ、人類最初の冒険家が決定しました。

ところが、です。

北極点への初到達論争はこれだけでは終わりませんでした。後の詳しい測量により、1990年代にピアリーの北極点到達は捏造の可能性があるとする意見が出てきたのです。

ピアリーが北極点としていた場所は、前述のとおり実際には3分だけ不足していたこと、また、ナビゲーションの技術をもつスタッフが同行していないにも関わらず、旅程が不自然に順調であることなどから、到達そのものを疑問視する声も。

こうなると“人類初到達”は、いったいどこまで遡ればいいのかさえ、もはやわからなくなってきてしまいますよね。

結局、ピアリーの偉業を称えるかたちで、記録上(?)は4月6日を「人類が初めて北極点に到達した日」としているみたい。

うーん、なんとも締まりの悪いお話でした。

Top image: © Jane Rix/Shutterstock.com
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