「魔女」から「聖女」へ。ジャンヌ・ダルク、最期の日。

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

ジャンヌ・ダルクが火刑によって逝去した日

対抗する勢力や争うべき事象に対して果敢に挑む女性を「ジャンヌ・ダルク」と呼ぶのを聞いたことはありませんか?

歴史などにあまり興味のない人はアニメや漫画のキャラクターだと勘違いしていたり、また、その存在を知っていたとしても、どんな人生と運命を辿った人物かを知っている人は意外と少ないかもしれません。

1431年の今日5月30日は、今もフランスで強い支持を受ける“聖女”ジャンヌ・ダルクが逝去した日です......火刑という、あまりにも残忍極まる制裁によって──。

ときは、領土問題や王位継承にまつわる衝突などでイギリスとフランスが激しくぶつかり合っていた「百年戦争」の真っ最中。

劣勢だったフランスの東部の村・ドンレミに住む農家の12歳の娘は、大天使ミハイル、聖カタリナ、聖マルガリタから“お告げ”を聞いたといいます。

フランスを救いなさい。

そして、シャルル王太子をフランス国王にするのです。

その神のお告げを聞いた少女こそ、後にフランスの勝利を牽引したとされるジャンヌ・ダルクです。

信仰深いジャンヌは神の声に従い、16歳のとき、ときの王太子であるシャルルのもとを訪れますが、当然ながら謁見など叶うはずもありません。当時のヨーロッパは厳しい階級制度が敷かれており、王家への拝謁は限られた上位層のごくごく一部の人のみの権利。16歳の農家の娘が実現できるはずもありません。

しかし、その後、フランス優勢とみられていたフランス・オルレアン郊外での戦い(ニシンの戦い)のフランス敗北を予言で的中させたジャンヌは、奇跡的にシャルルとの面会を叶え、男装して軍に参加。

陥落寸前と目されていたフランスの要所・オルレアンに送り込まれたジャンヌは、その神がかったカリスマ性で軍を指揮。7ヵ月間にわたって防戦一方だったオルレアン戦線は、ジャンヌ到着のわずか9日後にはフランスが完全奪還を成し得たといいます。

その後も数々の戦功をあげ続け、シャルル王太子をフランス国王の座に押し上げたジャンヌ・ダルク。

しかし、1430年、フランス・オワーズ県コンピエーニュの戦場で敵軍の捕虜に。彼女の働きによりフランス国王の座についたシャルル7世でしたが、国内で圧倒的な支持を誇るジャンヌ・ダルクの存在を疎ましく感じていたことから、大した救済措置をとることはなかったといいます。

翌1月からイギリスで異端審問にかけられたジャンヌ・ダルクは、以下の“罪”から火刑という極刑に処されることとなりました。

・悪魔の声を聞いた異端者(=魔女)

・女性でありながら男装をした違反者

彼女の死から489年後の1920年、カトリック協会を統率する組織「ローマ教皇庁」により、先の異端審問の判断が誤りだったことが正式に認められ「聖女」となったジャンヌ・ダルク。

現代の宗教的価値観や性、ジェンダーの捉え方からは想像もできない、過去の世界。

二度と同じ過ちを繰り返さないためにも“知っておくこと”は重要なのかもしれません。

Top image: © iStock.com/Flory
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