「祖国と自由のため」。息子に向けた矢が射抜いたのは......

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

「ウィリアム・テルが息子の頭のうえに置かれた

リンゴを弓矢で射抜いた」とされる日

「ウィリアム・テル」と聞いて「あ、人の頭のうえに乗せたリンゴを弓矢で射った人でしょ?」と答えられる人は少なくないでしょう。

でも、なぜ彼の、そんな曲芸まがいの行為がいまだに語り継がれているのかを知っている人は、そう多くないはず。

諸説ありますが、スイスの歴史家であるアエギディウス・チュディの研究によると、今から714年前(1307年)の11月18日こそが、ウィリアム・テルが矢でリンゴの実を射抜いてみせた日なのだとか。今日は、知っているようで知らないウィリアム・テルの物語を少しだけご紹介します。

ときは14世紀、アルプス山脈に囲まれた自然豊かな国・スイスは、その支配を目論む隣国・オーストリアを統べるハプスブルグ家(王朝)の圧力によって不自由な生活を強いられていました。

ある日、オーストリアの使者である役人のアルブレヒト・ゲスラーが、スイスはウーリ州のとある通りに棒を立て、自らの帽子をかけました。そして、こう言ったのです。

「ここを通る者は、この帽子に挨拶をしてから通るように。挨拶せずに通った者は、即刻処罰する」。

権力を笠に着た無意味で無情な要求ではありますが、街の人々は従うしかありません。

そこに通りかかったのが、6歳の息子を連れ、弓を携えた、森に住む猟師にして愛国者のウィリアム・テル。テルは棒にかかった帽子を一瞥し、そのまえを通り過ぎます。 

ゲスラーは従者らによってテルと息子を捕らえさせ、「本来ならすぐにでも処罰するところだが、どうやらお前は猟師のようだな。その弓矢で子どもの頭のうえに乗せたリンゴを射抜くことができたら解放してやろう」と悪趣味この上ない提案をします。失敗する様を人々に見せつけ、その恐怖によって支配力を強めようという下衆な思惑があったのでしょう。

人々が見守るなかで、テルは一本の矢を弓につがえ、弦を絞ります。そして、一閃。放たれた矢は見事に息子の頭上に据えられたリンゴを射抜きました。

公衆の面前で面子を潰される格好になったゲスラーは歯噛みしますが、テルが携えた矢筒にはもう一本の矢が。ゲスラーの視線に気づいたテルは、こう言いました。

「これは、お前を射るための矢だ。母国を守るのめの、正義の矢だ」。

その言葉に激昂したゲスラーは、再びテルと息子を拘束しますが、移送中、反撃の機を見逃さなかったテルによって、予告通り、愛国者・テルの矢によって命を落とすこととなったのでした──。

と、ここまでまるで史実のように語り継がれるウィリアム・テルの物語ですが、実在する人物なのか架空のキャラクターなのかは、現代においても研究者の間で意見が別れているのだとか。

ともあれ、多くのスイス人がその存在を信じ、自由の獲得のために危険を顧みずに戦ったウィリアム・テルの勇気は、今も世界中で尊ばれ、折れない心や圧力への抵抗のシンボルとして愛され続けているのです。

※内容の詳細は諸説あり

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