「執着があるのは、愛があるからではない」紀里谷和明氏が映画を撮り続ける、本当の理由とは?
『CASSHERN』『GOEMON』の紀里谷和明監督が完成させた5年ぶりの新作映画『ラスト・ナイツ』が、本日11月14日(土)に公開となった。
「すべての問題の根底には“恐怖”がある」と語る紀里谷氏。死をも肯定し、達観しているように見えるが、失いたくないものはないのか。また、映画を撮り続ける理由とは?
TABI LABO代表の久志尚太郎が、前回に引き続き話を聞いた。
1968年熊本県生まれ。83年15歳で渡米、マサチューセッツ州ケンブリッジ高校卒業後、パーソンズ大学にて環境デザインを学ぶ。94年写真家としてニューヨークを拠点に活動を開始。数々のアーティストのジャケット撮影やミュージックビデオ、CMの制作を手がける。2004年、映画『CASSHERN』で監督デビュー。2009年には映画『GOEMON』を発表。著書に小説『トラとカラスと絢子の夢』(幻冬舎)がある。2014年4月よりメルマガ「PASSENGER」発行。最新作のハリウッド映画『ラスト・ナイツ』は2015年11月14日(土)より全国公開。
公式メディア:http://passenger.co.jp/
TABI LABO CEO
中学卒業後、単身渡米。16歳で高校を卒業後、起業。911テロを経験し、アメリカ大陸放浪後日本に帰国。帰国後は外資系金融企業や米軍基地のITプロジェクトにエンジニアとして参画。19歳でDELL株式会社に入社後、20歳で法人営業部のトップセールスマンに。21歳から23歳までの2年間は同社を退職し、世界25カ国のクリエイティブコミュニティをまわる。復職後、25歳で最年少ビジネスマネージャーに就任。同社退職後、ソーシャルアントレプレナーとして九州宮崎県でソーシャルビジネスに従事。2013年より東京に拠点を移し、2014年2月22日にTABI LABOをロンチ。TABI LABOは月間900万以上の読者に読まれるメディアに成長。
唯一、執着があるのは両親
久志 前回までは、紀里谷さんのストイックな面と根底にある思想に触れました。執着をすべて捨てきったように感じる紀里谷さんにとって、大切なもの、大切な人はいないのでしょうか。
紀里谷 大切な人は、両親ですね。こういうと、友人は大切ではないのかと思われるかもしれませんが、もちろん友人は大切です。ただ、例えば友人が死んだとしても、私はそれほど悲しくないんです。私は「死」を案外肯定してしまっているので、それに対して悲痛な思いはありません。自分が死んでも悲しくないのと同じです。ただ、その感覚を親にはまだ持てていないんですよ。
久志 ご両親だけが、亡くなったら悲しいと思うのですね。
紀里谷 例えば、「明日、あなたは映画が撮れなくなります」「明日、あなたは死にます」と言われても、私は何の拒否感もなく受け入れられると思います、ただ、「明日両親が死にます」と言われたら、猛烈な拒否感あります。まだ自分でもよくわかっていないのですが、どこかでまだ両親を必要としているのでしょうね。いろいろなものを手放してきて、執着も無くしてきたつもりですが、両親には唯一囚われていて、二人なしには自分自身を保てないのだと思います。友人に対しては自分と同じ感覚で、死も受け入れられるのですが。
久志 ご友人は自分と同じように見ているから、「死」も肯定できるけれど、ご両親に対しては自分と同じに見られないということでしょうか。
紀里谷 そうですね。たぶん、両親に対してだけは執着が捨てきれていないのでしょう。両親、特に父は大企業の社長をやっていますが、何事にも執着がないんです。両親は、本当に明日死んでも構わない、幸せだと言っているのですけれど、私はそれを受け入れられない。いつまでたっても自分は子供なのだと思います。
久志 ご両親とはよく話をされるのですか。また、ご両親は紀里谷さんの仕事についてどうおっしゃっているのですか?
紀里谷 特に母親はよく東京に来るし、電話もしています。父は仕事の話しかできないので仕事の話をし、母とはたわいのない話をしますね。両親とはなるべく時間を作ろうと思っています。
父は映画のことを理解していないので、モーガン・フリーマン主演のハリウッド映画を作ったと言ってもあまりピンときていないようです。それよりはテレビに出る方がわかりやすいようで、喜びます。母は理解していますけれど。両親は、私が小さい頃から、会社を継がなくていい、好きなことをやれと言ってくれていました。
見守られ、信用されていた
子ども時代
久志 紀里谷さんは家業とは違う、写真とアートの世界に飛び込んだわけですが、そういった教育を施されたのですか?
紀里谷 うちは放任主義なので、強制されてやったことは何一つないんです。もちろん礼儀作法とか、約束を守ることなどは非常に厳しかったのですが、勉強などに関しては特に何も言われませんでした。ただ応援はしてくれましたよ。15歳でアメリカに行きたいと言ったときには応援してサポートしてくれましたし。
15歳で親元を離れるときに父に言われたのは、「信用するしかない」ということ。今と違ってSkypeもないし国際電話も高い時代です。「手の届かない場所にいるのだから、お前のことを信じるしかないし、もう何も言えない」と言われました。干渉されたことはまずありません。
久志 温かく見守られていた感じでしょうか。喧嘩などはしましたか。
紀里谷 非常に恵まれていたと思います。もちろん喧嘩はしました。殴り合いはないですが、両親ともに口論になったことは何度もあります。ただ、それは根源的なことではないですね。
愛があるから
執着するわけではない
執着するわけではない
久志 ぼくが興味深いと思ったのは紀里谷さんの口から「執着」という言葉が出たことです。愛があるから執着するのでしょうか。
紀里谷 いや、それは真逆のことだと思います。父母に執着しているから愛がないのか、と言われるとそうではないのですが。仏教もキリストも、「すべての苦しみは執着にある」と言っています。何かを所有してしまうと、それを失うのが怖くなるんですよね。だから執着を無くしたいのだけれど、両親を手放すのは、圧倒的に怖い。愛情を十分に表現しきれていないという恐れがあるのかもしれない。そういう意味では、友人には十分に伝えているという自信があるのだと思います。
久志 それは15歳で家を出てしまって、十分に時間を過ごしていないからということもあるのでしょうか。
紀里谷 それもあるでしょうね。
久志 実はぼくも15歳で家を出てアメリカに渡り、それ以降一度も一緒に暮らしていないんです。中学生の時にぼくは荒れていたので、妙な距離感があります。一度もちゃんと甘えたことがないなと感じるんです。自立して、ちゃんとやってきちゃって。
紀里谷 私もそうですね。たぶん、「子供」をちゃんとやってあげられなかったという思いがあるのです。彼らに対して、子供の役割を果たしきれていなかったんじゃないか。それは、介護や金銭的なサポートなどの関係としての「子供」という意味ではなくて。
久志 大人と子供という意味での、「子供」を提供できなかったということですよね。ちょっとおこがましい言い方にはなってしまうけれど、そういう感覚ではないでしょうか。
紀里谷 まさしく。「子供を提供できなかった」という思いです。
子どもらしさの提供親らしさの提供
久志 ぼくが15歳で渡米したときに、母親から手紙をもらったんです。母親とはそれまでずっと非常に仲が悪くて。その手紙には「私はダメな母親で、本当に申し訳ない」と書いてありました。
紀里谷 ああ、俺ももらったことがある…。
久志 ぼくは、そのときになんとも言えない気分になってしまったんですが、そのまま子供から大人になって自立してしまったんです。大人になって大きな病気をしたときには、母親には非常に助けられたのだけれど、家賃や費用を自分で払っていて。そうなるとどうしても大人と大人の付き合いになってしまって、そこでも子供を提供できなかった気がしています。
今、母親に対して、「あなたは本当に素晴らしいお母さんだね」って思っているし、言えるけれど、母親に実体験として「私はいい母親である」という実感を提供できなかったと思うのですよね。
紀里谷 後ろめたさがあるのですよね。
久志 そう、それが何か自分の埋まらないピースとして存在しているんです。人間って、たとえばマラソン選手になりたかったのに怪我してなれなかった、とか、やりたくてもやりきれなかったことはずっと残りますよね。それが執着につながっているのではないでしょうか。
紀里谷 その通りだと思います。きっと他の方も持っていらっしゃる感覚だとは思うのですが、何かで解消しようとして模索しても埋まりません。一生埋まらないのかもしれませんね……。だからこそ、両親に死んでほしくないということなのでしょう。
肩書きや地位ではなく、「人の有り様の凄さ」
を尊敬する
を尊敬する
久志 では、紀里谷さんにとって尊敬する人はいるのでしょうか。
紀里谷 何人かいます。もう亡くなられた方ばかりですが、人間国宝の刀鍛冶、天田昭次さんはそのお一人です。
久志 人間国宝。どんな方なのでしょうか。
紀里谷 もちろん天田さんが作る刀は素晴らしいものなのですが、私が尊敬している理由は、人間国宝だからという理由ではありません。「人間国宝」という言葉は、人を彩る形容であって、本質をさすものではないと私は考えています。
久志 その人の有り様で、尊敬するようになったということですね。
紀里谷 そうです。すごい人には、会えばすぐにわかります。気迫や気構え、考え方が空気に表れているのです。私は、そういうところでしか、人を見られないんです。
原因と結果は、実際には遠く離れている
紀里谷 「彩り」で人を見るというのは、非常に短絡的な行為だと思うんですよね。たとえば仕事で成功するというのは「結果」です。その結果を肩書きや地位という「彩り」で表しています。
そして、「彩り」のある人のことを、何が原因で成功したのかと探って、「これをすれば成功する」とセオリーを作ります。そういう原因と結果が直結したようなものを多くの人が読みたがりますよね。それを完全に否定するわけではありませんが、実際のところは、その人の成功の根底には、もっと大きな何者かの意思があったり、時流があったりするはずです。「自動販売機にお金を入れたら成功が出てきた」というような、簡単に繋がる話ではないんです。結局、「彩り」では何もわからないんですよ。
久志 ああ、確かにそうですね! ただ、私たちは「彩り」を見て、何かわかったつもりになってしまうことが多いですね。
紀里谷 そうです。本当はそんなに簡単に測り切れるものじゃない。決めつけられるものではないのです。「彩り」、つまり結果は、極めて現象的なことなので、もう今は興味が持てなくなってしまいました。
久志 若い頃はあったのでしょうか。
紀里谷 それしかないと思っていたぐらいです。お金持ちにならなくては、成功しなくてはと思っていました。それを追い求め、突き詰めていく過程で、そうではないということがわかってきました。ありがたいことに、いろんな人に出会う中で、結局「彩り」は何の意味もなさず、その人の有り様でしか測れないとわかったのです。その人と会って、その人の有り様を感じる。それだけです。
「私はある」の境地と、頭で理解することの限界
久志 紀里谷さんの話って、「秘伝書を開くと、そこには何も書いていなかった」という物語のような感じですね。
紀里谷 私は、ありとあらゆる人が言っていることを言っているだけですよ。それが真実だから物語にも描かれるのでしょうね。
久志 現代において、そういうことを真剣に言っている人は少ないですよね。皆どうしても「彩り」の話をするし、恐怖と向き合う話どころか煽り立てるような話ばかりしてしまっています。いつの頃からか価値基準が変わり、こういった風潮になってきていますね。
紀里谷 『アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話』という書籍があります。分厚い書籍で、簡単に説明できることではないのですが、マハラジが主張していることは、「私は在る」ということだけに集中せよ、ということです。「私は誰か」「私はどうなればいいのか」、そういったことには意味がないのです。
ただ、これって頭で理解しようとしても難しいものなのです。感覚として、ふっとそこにたどり着くというか。とはいえ、実際に映画を作るときには「どうするんだよ、もう時間が足りないじゃないか」などと言いながら作っています。達観してなんていないんですよね。
映画をとるのは、執着があるから
久志 紀里谷さんは、ご自身で撮ったものには興味があるのでしょうか。彩りという色眼鏡をかけずに物事を見ているから、表せる世界があるように思うのですが。
紀里谷 自分で撮ったものに興味はないですね。アートに興味がない。ピカソを見ようが何を見ようが、興味がなくなってしまいました。「すごいもの」「価値があるもの」というのは、この世界にはないと思うのです。
久志 ではなぜ紀里谷さんは映画を撮っているのですか?
紀里谷 そこがまだはっきりと言語化できない部分で、その時々でいろいろな動機が浮かぶのですが、まだ親という執着があって、それが映画に向わせているのかもしれません。その執着がなくなったら、自分はこの世からいなくなってしまう、という感覚もあります。
久志 なるほど。執着が紀里谷さんをこの世に繋ぎ止めているのかもしれませんね。執着と彩り、原因と結果の話…。仙人のような紀里谷さんの、人間的な部分を伺えました。今回も面白いお話、ありがとうございました。