牧師に「言論の自由」を説いた、コメディアンからの1通の手紙

ビル・ヒックスというアメリカのコメディアンが、テレビで披露したネタに対して、ある牧師からクレームの手紙が送られてきました。それに対してビル自身が書いた返事の手紙は、とても興味深い内容でまとめられていました。

ショーン・アッシャーさんが編集した『注目すべき125通の手紙 その時代に生きた人々の記憶』より、一部を紹介したいと思います。手紙を使うことで、このように出会ったことのない人同士が、議論を交わすこともできるのです。

クレームに対しても
誠意とユーモアを

1993年6月8日

 

拝啓 ぼくの特別な「啓示」番組について懸念を記した手紙を拝見し、これはぼく自身がお答えすべきことだと感じました。ご指摘を受けた点についてぼくの見解を明らかにするとともに、ぼくが本当はどういう人間なのかをご理解いただけたらと思います。

 ぼくの国アメリカには「言論の自由」という一風変わった概念があり、これが人類の精神的成長において最も優れた成果のひとつだと感じている人が大勢います。ぼく自身「言論の自由権」を強く支持しています。この概念を本当に理解している人ならほとんどが支持するでしょう。
「言論の自由」とは、自分には承服できない意見を他人が述べる権利を認めるというものです。(自分が受け入れられる意見のみ人に発言を認めるというのであれば、「言論の自由」とはなりません)。世界にはさまざまな信条があり、そのどれか一つに全員が賛成するというのは実質上ありえないことを考えると、「言論の自由」のような概念が実際にどれほど重要な価値を持っているかが見えてくるのではないでしょうか。この概念は、基本的には「あんたが言っていることに賛成もしないし関心もないが、あんたがそう言う権利はきっちり認める、真の自由とはそういうもんだからね」ということです。

 ぼくのネタが「不快」で「冒涜」だとおっしゃっていますね。あなたは今までご自身の信仰について苦情の手紙を受け取ったことが一度もないでしょうし、なぜそんな信仰が許されるのかと問いただされたこともないはずです。賭けてもいいですよ。そういう方がご自身の信仰を中傷された、脅かされたと受け止めた点がおもしろい、とぼくは思っています。(もしそういう手紙を受け取っていたのでしたら、その手紙はぼくが書いたものではありません)。
さらに、1週間のテレビ番組表にざっと目を通してみると、たいていの週にぼくのショーより宗教色の濃い番組がいくつもあるのではないかと思います。ぼくのショーに「特別番組」と銘打ってあるのは、非常に珍しいという事実によるものです。

 「啓示」では、ぼくの見解をぼく自身の経験に基づきぼくのことばで述べているだけです。放送局の敬虔な人が番組を編成するのと大差ありません。ぼくは宗教的な番組を何年も見てきました。好みに合わないもの、自分の信仰にそぐわないものはたくさんありましたが、だからといってもっと強力な検閲を、などと思ったことは一度もありません。チャンネルを変えれば済む話だとぼくは思っています。テレビを消せばもっといいでしょう。

 さて、あなたの手紙でいちばん気になった点について書きます。

 憤慨の裏付けとして、あなたはイスラム教徒が不快と感じるようなネタに対して示すかもしれない「怒り」の反応について、仮想的なシナリオを描いています。そこでお訊きしたいのですが、あなたはキリストのメッセージを知らないどころか、「言論の自由」や忍耐といった観念についても同様になじみがないと思われるごく一部の悪党たちの暴力テロを暗に容認しているのですか?自分の信仰とは異なるものに寛容になれないのは当然だ、称賛に値する、さらには受容や赦しよりも好ましいとほのめかしているのであれば、あなたが本当に信じているのはなんなのかと思いたくなります。

 ぼくのショーを最初から最後までご覧になっていれば、ぼくの考えをまとめたくだりで、ぼくが各国政府に軍事費を削減し、世界の貧困層にもっと食料や衣服や教育を与えてくれと熱く訴えかけているのがおわかりいただけたはずです……。この点ではキリスト教徒らしからぬ訴えとは言えますまい。

 ぼくの番組のメッセージとは、突きつめて言えば、無知よりも理解を、戦争よりも平和を、非難よりも赦しを、恐怖よりも愛をという呼びかけです。ぼくのメッセージはあなたの耳には届かなかったようですが(ぼくの提起のしかたのせいでしょう)、イギリスツアーを行ってみて、何千人もの人々に受け取ってもらえたと実感しています。

 ご質問に対し、いくらかは答えになっているとよいのですが。それから、あなたとのやりとりをいつでも歓迎するという招待状としてこの手紙を受け取っていただければと思います。もしよろしければ、コメントやご意見、ご質問を気兼ねなくぼく個人宛に送ってください。送るつもりはないというのでしたら、これから放映されるぼくの特別番組2つを楽しんでください。番組タイトルは「まぬけなモハメッド」と「デブの仏陀」です(冗談ですよ)。

 

敬具
ビル・ヒックス

本当の意味での
「言論の自由」とは

意見の内容は人それぞれですが、このように自分の思ったことをはっきりと、曲げずに主張したビルの姿勢は現代人が見習うべきものなのではないでしょうか。「言論の自由」は、自分の言いたいことを言うだけでは不十分です。自分の意見に対する反対意見を聞き、議論を交わす。これが本当の意味での「言論の自由」になるのでしょう。

そして、「手紙」にはそれを助ける力があるのです。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。