僕が、結婚は30歳まで待つべきだと思う5つの理由
「結婚すれば安定が手に入る」と考える人も多いかもしれませんが、果たして「安定」とはそこまで望ましいものなのでしょうか。
まだいろんなことに挑戦できる、ある意味で“お試し期間”のような20代を結婚に捧げるのはもったいないと語るのは「Elite Daily」のPaul Hudsonさん。それでも結婚願望が強い人は、彼の記事を読んでからでも遅くないかも。
01.
まだ本当の自分に
出会えていないから
もちろん180度性格が変わるとまでは言いません。ですが、自分の欲しいものが何なのかをちゃんと把握していないのが20代。年を重ねると、自分の基盤となるものがより一層明確になってくるものです。「迷子」な状態から「ある程度は芯がしっかりしている人」に変わる、とも言えるでしょう。
自分をよりよく理解することで、行動パターンも定まってきます。好き嫌いもハッキリするし、自分に合うもの、合わないものが明確になることで、あらゆる状況がもっとうまく対処できるようになるのです。
もちろん、それは相手も一緒です。いま一緒にいる彼・彼女は、10年後も同じ人である保証なんてありません。20代は、あくまでも成長過程のひとつでしかないからです。つまり、その期間に結婚してしまうのは、リスクが高すぎるのです。10年も経てば、パートナーを同じように愛せない壁にぶち当たるかも…。そうなると、もう相性すら合わないかもしれないのです。
02.
金銭面で余裕がないから
若くして成功する人もいれば、何かしらの支えをもとにうまく生きている人もいるでしょう。でも20代は、多くの人にとって金銭面が安定しない年頃。心地よく生活を送ることすら、困難かもしれません。
「愛があればやっていける」なんて思っていても、物欲からは逃れられません。年を重ねれば重ねるほど「金銭的余裕」が、関係を持続させるために必要不可欠な要素であることに気づくはず。
生活がうまく回らず、お金のことでケンカが増えることも十分ありえます。その上、子どもなんていたら、さらに状況は悪化。とてもお金がかかるし、そもそもおむつがいくらするか知っていますか?
共働きの人だったら、ふたりの収入源を合わせることでなんとかなるだろう…と思うかもしれませんが、少しの間はうまくいったとしても、結婚はストレスが生じます。それに加えてお金の心配もしないといけないとなると、いずれ精神的に爆発してしまいますよ。
03.
まだまだ経験が浅かったことに
後悔を抱いてしまうから
20代は冒険するため、そして楽しむためにあります。その時代に経験するセックスは、刺激的で楽しいものかもしれません。失敗したって、すぐに立ち直れる強さを持っていますし、一度や二度の失恋なんて痛くもかゆくもありません。そんな若いときの自由は、年を重ねると、徐々に消えていってしまうものなのです。
20代のうちにいろいろ経験しておかないと、30代〜40代になってもまだまだ「未経験」な気がしてしまうでしょう。そういう意味では、結婚してしまうと何も経験しないまま時間だけが過ぎていくことになります。
愛は何よりも最優先であるべきかもしれません。でも、私たちはいつでもロジカルに動ける生き物ではないことを知っているはず。結婚は、ロジカルな選択肢ではないですよね?
04.
結婚は一生続くもの。
いま焦る必要はないから
結婚が持つ意味とはなんでしょう?税金はいくらか節約できますが、そのほかは?
結婚する理由に「安定」や「安心」がよく挙げられますが、結婚する前から安定のある関係でないと、結婚になんて踏み込めません。そもそも、いまの関係が安定していなければ、結婚後の関係は余計ガタガタになるでしょう。多くの人は、結婚を少なからず「窮屈」に感じます。だって、その関係は永遠に続くものだから。
一生続くものなら、少し後回しにしてもいいはず。パートナーを失う恐怖から結婚しようとするなんて最大のミスです。離婚は、とても大変で面倒なもの。弁護士をつけるなんてことになったら、お金も大きな損失です。
05.
年を重ねるほど
夢の実現が難しくなる
ゴールや夢は、年を重ねるとともに薄れていってしまいます。叶えるためには数年努力しなければならない夢もありますが、すぐに叶えられる夢だってあるでしょう。でも、それすら人間は後回しにしがちなのです。
結婚してしまうと、目標を達成するのはさらに困難になるでしょう。恋愛に囚われ、何かに集中することが難しくなるからです。集中しないと叶えられないような夢なら、シングルでいるほうが夢に近づけるかもしれません。
「恋愛を諦めろ」とは言いません。ただ、結婚とは壁多きもの。もちろんストレスだって感じるでしょう。パートナーを愛しているからこそ、夢を追わなければならないのです。
ある程度の自由がありながら、関係を保つことが肝心なのかもしれません。たとえ錯覚であろうと、「自由である」と思えることに人間はしあわせを感じるのです。