任侠映画をみるとき? それは「 “空気” を入れたいとき」。
音楽、映画、文学など、誰にだって心のよりどころとしているものがあるはず。そんな“オール・タイム・フェイバリット”を探る週替り連載企画。今回は東京・阿佐ヶ谷にあるロック・バー『ジャニス』のマスターが登場。まだ見ぬ世界を覗き込むように、梅村さんの話に耳をかたむけてみてください。
東京・阿佐ヶ谷にあるロックカフェ・バー『ジャニス』のマスター。
昔、軽井沢のレンタル自転車屋さんでジョン・レノンと遭遇した過去あり。
(声をかけたものの、ジョンは颯爽と自転車で走っていってしまったそうです)
#FAVORITE 01.
東映の任侠映画
梅村:今、ほとんど撮られていないんですよね。Vシネマみたいなものって。劇場作品もまったく撮られていないので、時代が変わったんだなと。すこし前に松方弘樹さんも亡くなってしまいましたし、彼が出ていた『修羅の群れ』とか『最後の博徒』とか、その辺りで終わっちゃったのかなと。
——たしかに、若い世代は観ているひとも少ない気がします。
梅村:若くなくても、観ているひとは少ないですよ(笑)。昔は任侠映画専門の小屋(映画館)があったんです。最初は新宿の『昭和館』、それがなくなって引き継いだのが、中野の『武蔵野館』。それも、もう何年も前になくなってしまって。まわりにも観ている人がいないから、なかなか話が合わなくて(笑)。
——素朴な質問になってしまいますが、任侠映画を好きな理由って?
梅村:もう本当にただ好き、というだけなので、理屈じゃないんですけどね。やっぱり非現実的で、今はこういうのってあまりないじゃないですか。なんていうか、反近代的。移り変わっていく時代に取り残されている人間というかね。裏の社会を描いているから、そりゃそうなんですけど。
その中でもエンターテインメントとしての面白さがあって、人物設定もわかりやすい。リアリティがないっていえばリアリティがないんですけどね。人間ドラマとしては非常に面白いところがあるなと。
任侠映画って
つまりそういうことをいっている
——若い頃から観られていたんですね。
梅村:昔の、学生運動が激しかった頃ってわりとそういうのを見てね、カッコよくいうと、映画の中で繰りひろげられる “権力に対する反逆”みたいなものを、自分に投影しちゃったりして。それにちょっとこう、勇気をもらうというか。そういうことを、昔は「空気を入れる」って言っていたんですけど。
—— “空気を入れる”って、はじめて聞きました。
梅村:今はつかわないよね。そういう映画を観て、弱気な自分を鼓舞するというかね、鼓舞というほどでもないかもしれないんだけど。自分に勢いをつけるというか。そういうことをいう言葉だったんです。
——では、若い頃はそうやって空気を入れていたんですね。
梅村:まぁ、多少はありましたね。そんなに過激じゃないけど(笑)。今はなかなかないよね。「義を見てせざるは勇なきなり」っていう言葉があるんだけどね、ちょっと空々しいような気もするけど(笑)、「正義をみて、見て見ぬ振りをするのは勇気がないからだ」というようなことで、任侠映画ってつまりそういうことをいっている作品が多いんだよね。
現代社会にも通ずるもの
——恥ずかしながら、任侠映画がどういうものかも、あまりよく知りませんでした。
梅村:いわゆる『任侠路線』といわれるものはそういう作品で、その反対の位置にあるのが『実録路線』。名前の通り、きちんと取材を重ねてつくられていく作品がそう言われていて、『仁義なき戦い』とかがそれにあたるんだけど。任侠とは真逆で、「“義”とかそういうものってくだらない」というスタンス。
それもそれとして、僕は正しいとは思うよ。たとえば現代でいえば、サラリーマンのひとたちが組織の中で戦う感じとかは『仁義なき戦い』を観ていてもおなじものがあるというか。上下関係、力関係とかね、いろんなしがらみが渦巻いている中で戦っていたり、自己保身の術が重要だったりとか。
シナリオライターの笠原和夫っていう人がね、非常に優れていたんだけど。彼が書いている『笠原和夫 シナリオ集』(映人社刊) は、実録路線の作品のセリフを知れて、おすすめです。
どちらも現代社会にも通ずるものがあって、今の時代に観ても楽しめるものなんじゃないかな。
「任侠映画の常連だった、高倉健も、菅原文太も亡くなってしまったからね。追悼っていう意味で、昔の作品を見返したりすることもあるよ。」
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