もっとかわいい民芸品があっていいじゃないか!
「今の住空間にダルマが合うと思う、女性は多いでしょうか?」
これ、「アクティ大門屋」という会社の社長の言葉。決してだるまを侮辱しているわけではない。だって、そもそも同社は群馬県高崎市にあり、140年以上も「高崎だるま」をつくり続けている会社なのだから。
では、同社がつくる民芸品にはどんなものがあるのだろうか?
もちろん、“だるま魂”が生きていることは間違いない。
マトリョーシカならぬ
「はりこーシカ®️」
大きい招き猫から小さい招き猫がぽこぽこぽこぽこ。
こちらは、鯉のぼりバージョン。
かわいい……。
この商品は、張り子でできた同社の人気商品だ。でも、これだけでは、これらとだるまの関係は、なかなかピンとこないだろう。
300年の歴史をもつ「高崎だるま」
絶対に変えられないところは?
ひとつ、「縁起物」としての要素をもつこと。
ふたつ、受け継いできた「張り子の技術」。
同社の社長いわく、だるまのこの2つは変えられないんだとか。冒頭のかわいい民芸品は、このだるま要素にもう一段階、独自の「ハリコイズム」が加わって生まれたというのだが。
世界的建築家 ブルーノ・タウトが
高崎に残したもの
ICH LIEVE DIE JAPANISCHE KULTUR(私は日本の文化を愛す)
ドイツ生まれの著名な建築家、ブルーノ・タウト(1880〜1938)の言葉の碑が高崎に残っている。場所は少林山達磨寺(しょうりんざんだるまじ)。タウトは、ナチス政権の台頭に身の危険を感じて日本へ亡命し、達磨寺で2年3カ月の歳月を過ごした。彼が高崎でつくったデザインは1000点以上。去り際に「八幡村(現在は高崎市)万歳、少林山万歳」と挨拶するほど、彼にとって高崎は特別な場所になったことが想定される。
タウトは国際的に高い評価を受けていた建築家だが、タウトがいくら偉大といえども、実際につくる人がいないとデザインは形にはならない...。ここでタウトと職人たちを結びつけたのが、当時高崎で進められていた民芸運動の中心人物であった水原徳言(1911〜2009)氏。タウトは何か思いつくたびに水原氏に相談し、それを受けた水原氏が“誰ならできるか”を考えて最適な職人に依頼していた。そして英語が分からない職人のために、必ず作品づくりに同行していたのだという。
つまり、水原氏の存在なくして、タウトのデザインが形になることはなかったのだ。
今に生きる
「ハリコイズム」
タウト唯一の日本人弟子といわれる水原氏はその後、「アクティ大門屋」の顧問になった。よく話していたのは、“ふだんの暮らしの中で使われてきた日用品の中に美しさを見出し、活用していこう”という民芸運動の話。この話から社長が今に生かしているものが「普段使いの美」。
もうひとつ、水原氏は「新しいものをどんどんつくりなさい」というアドバイスを盛んにしていたんだそう。もちろん、なんでもかんでもつくればいい、ということではない。使い手の心の奥底を探り、土地柄や背景などを踏まえた、心に沿ったものづくりを、ということだ。ここの部分から得たものが「本物」と「本質」を大切にするということ。
水原氏の教えを取り入れ、新しいものづくりに挑戦していった結果、平成元年まで「アクティ大門屋」の制作物の95%を占めていた「高崎だるま」は、気づけば1桁に。「だるま×ハリコイズム」にのっとったオリジナル民芸品は、今、売り切れになるほど全国各地の人に愛され、日々に「ホッ」とする時間を提供しているのだ。