農業に本当に必要なものは、経験でもなければ土地でもないかもしれない。
専業農家だった祖父(現在は86歳と高齢のため家庭菜園のみ)が、よくこんな風に言っていた。
「じいちゃんは農業のプロだから~(こんなにうまくいった的な話がつづく)」。
幼いながらに“農業は知識と経験が充分でないとできないことなんだ”と思っていた。し、これは実際に間違っていないと思う。
そして、この原稿を書きはじめるにあたって、何人かにゆるっとこんなことを聞いてみた。「農業に必要なものって何だと思いますか?」すると、ゆるっとこんなこたえが返ってきた。
くわ、トラクター、運、忍耐力、知恵、体力、若さ、種、土、お客さん、愛嬌、真心。
これも、また、そうかもしれない。
けど、宮崎県新富町の農業の話を聞くと「農業に本当に必要なものは?」に抱くイメージはちょっと変わってくるかもしれない。
「先進地」!?
人口1万7000人ほどの小さな町・宮崎県新富町が、アグリテックの「先進地」としてたびたび注目されたりする。アグリテックとは、農業にテクノロジーを取り入れることだが、正直、アグリテックの先進地とされる場所が新富町だとはじめて知ったとき、驚いた。新しい分野のことが、日本で積極的に取り入れられるとするならば、安易だが、やっぱり最初は東京近郊だと思っていた。そして、むかし田舎に住んでいた経験則上、新しいことが田舎に受け入れられるのは、かなりむずかしいという印象があったからだ。
“アグリテックって、ドローンやロボット!?”なんて思う人もいるかもしれない。そういうものもあるかもしれない。だとしたら、かなりとっつきにくいが、新富町でじわじわ浸透しはじめているアグリテックは、地域によせられたアグリテック。旧観光協会が法人化した地域商社「こゆ財団」が、町のトップランナーと研究を続け、町民にプロデュースしているのだ。現実味のある最小限の投資で効果の最大化を図るほか、栽培方法のマニュアル化も進めている。
実際、どんなふうに取り入れられるのだろうか?
すでに成果をあげているトップランナーの方やそのお弟子さんもいるのだが、今回は、これから本格導入に踏みこむ方の“今”を紹介したい。
チャレンジの幅は
アグリテックで広がるかもしれない。
【事例1】
栽培がむずかしい国産ライチを軌道にのせて
1人でも多くの人に“未知のおいしさ”を届けたい
国内で普段食べられているライチは、たぶん海外からの輸入品。国産はたったの1%で、東京以北にはほとんど出回らないんだとか。で、1%のなかの7割を生産しているのが新富町だ。そして、そのなかでも、とくに甘くて大ぶりなのが「楊貴妃ライチ」と呼ばれている。これ、1度食べたらライチの概念がくつがえるらしいのだが、ブランド化の仕掛け役がこゆ財団だ。去年の夏には、「カフェコムサ」とコラボした1ホール1万6000円もするケーキが瞬く間に完売、という情報だけでも、おいしさの裏づけは充分かもしれない。
そんなライチを栽培している森さんは、今後アグリテックを導入予定だ。日本での栽培は困難とされていたライチ。新富町では、もともとマンゴー農家だったという彼のお父さんが10年前に、マンゴーの技術をライチに応用したところから栽培がスタートしている。そして地道に研究を続けた結果、現在の「楊貴妃ライチ」のような香り豊かでジューシーなものができたのだ。
そして今度は、お父さんの技術を自身のものに。10年分のノウハウの見える化にとりくみ、ゆくゆくは生産の自動化を目指していくんだそう。アグリテックの本格稼働は4月から。新富町の今後のライチ事情、そして直近の収穫期である6月が楽しみだ。
【事例2】
移住して新規就農、そして事業に。
高齢者が日本の農業を支えるモデルを新富町から全国へ
続く石川美里さんのミッションは「離農者と耕作放棄地の増加問題に歯どめをかけること」。もともとこゆ財団の存在や活動を知っていたという彼女。実際に、財団のメンバーや町長と直接話をしたうえで、新富町でならやりたいことが叶えられると確信し移住、昨年11月に「みらい畑」を設立した。
「みらい畑」における農業プレイヤーは、定年退職後に経済的な不安を抱える高齢者。・・・となると“身体への負担が少ない農業”を追求することが不可欠だ。具体的には、腰を曲げなくてすむような補助器具の開発・導入といったところ。まったくの農業初心者という彼女は、地元のベテラン農家の方から教わりながら技術を身につけつつ、同時に高齢者事情の調査を進めている。
3月の検証からは、アグリテックも導入していく予定だという。まずは、温度やCO2などのデータをとるところからはじめる予定だそう。見える化することで、何かあったときにすぐに対策をうつことや、データをためて翌年に生かすことが可能になる。
彼女は、知らない土地でまったく新しいことをはじめることについて、こんな風に話してくれた。
「“死んでも後悔しないようにやってみよう”と思っている。本当にやりたいことか?をつきつめて見つけたことだから、(移住、新規就農という)行動を起こすことができました。」
そして、ついでのように聞いた「新富町がたびたび、アグリテックの先進地と言われていますが...?」という問いに対しては、
「アグリテックの先進地というとちょっと大げさかもしれません(笑)。でも、チャレンジを受け入れて応援してくれる姿勢としては、間違いなく先進地だと思います!」
と。畑の確保や技術指導を受けること、そしてアグリテックのことも。縁のない土地で何かをはじめるときに抱く不安は、こゆ財団のような支えになってくれる組織があることでかなりの部分が払拭されるように思える。
いい“居場所”が
いい作物、まちをつくる。
きっと、全国的に見ると、アグリテックを取り入れている人はいるし、なんならもっと本格的にやっている人もいるんだろう。でも、農家同士でノウハウを共有しあったり、一緒に研究したり。「調和してやっているところは、まだほとんどない」と、こゆ財団の代表理事の齋藤さん。
こゆ財団を中心に、新富町が町をあげてアグリテックを取り入れる理由はいたってシンプルだ。町の基幹産業である農業を続けていくためにはアグリテックが必要で、農業が続いていき、おいしい野菜やフルーツをより多くの人に食べてもらうことで新富町は持続可能な地域になる。しかも、畑の緑や特産品のライチなどが維持されることで、新富町のあるべき風景が保たれる。ただ、それだけなのだ。
冒頭で「農業に必要なものは何か?」という話をした。農業には、もちろん経験も土地も不可欠だ。でも大前提として、農業をする人のチャレンジしたい気持ちを受け入れ、応援してくれる、“居場所”のようなものが実は1番必要だったりするのかもしれない。今回新富町の農業の話を聞いて、そんな風に思った。