移住ではなく「立ち寄る場所」。新潟の佐渡島でみつけた新しい生き方

旅先があまりにもステキな場所で、思わず「ここに住みたい」と考えてしまったことはないだろうか。さほど多くのことは知らないはずの街なのに、とても快適で、きっとここにいたら幸せになれる、と予感めいた気持ち。

多くの人はその気持ちをそっと心にしまい込んで日常生活に戻るのだが、直感に従い、街から新潟県の離島「佐渡島」へ移り住んだ、ある女性に話を聞いた。

山登りに来て感じた「直感」から
すでに5年目の佐渡生活

©2018 やなぎさわ まどか

新潟県佐渡島は、本州から船で渡る離島でありながら、東京23区に勝る大きさを誇り、人口約6万人が暮らす。この島で、IターンやUターンを希望してやってくる人たちをサポートしているのが、熊野礼美(くまのれいみ)さんだ。

都市部から佐渡へのIターン、佐渡出身で一度は島外に出た人がまた戻ってくるUターン、そして佐渡の近く出身(例:新潟市など)で都心に暮らしていた人が出身地ではなく佐渡に戻るJターン。

それぞれの事情や希望を聞きながら包括的なサポートをしている熊野さん自身も、関西から「Iターン」でやってきたひとりで、佐渡での生活はもうすぐ5年目になるという。

登山をきっかけに佐渡へ

©2018 やなぎさわ まどか

「はじめは、佐渡に山登りだけしに来たんです」

と笑いながら話す熊野さん。フルタイムの営業職は充実していたが、一生続けられる仕事かどうか不安も強くなっていた。都市型のライフスタイルにも、言葉にしきれない「モヤモヤした感情」を抱いていたという当時。

山登りに来て、地元の人たちの優しさや明るさ、力強い野花の魅力など、島内のディテールの一つひとつが心に呼びかけるたび、不安や悩みもパズルのピースが揃っていくかのようにクリアになるのがわかった。

「ここには住める、ここなら大丈夫だ、と感じました」

一旦は予定通り関西に戻るものの、ちょうど佐渡市が「地域おこし協力隊」を募集していると知り応募。採用が決まり、結果的に夫婦で佐渡島に越してきたのは、登山旅行からわずか半年後のことだった。

白か黒である必要はない
「グレーな移住」があってもいい

©2018 やなぎさわ まどか

協力隊の任期3年が終わったあとも佐渡に残り、UIターン希望者のサポートを事業として展開している熊野さん。古民家の事務所は、いろんな人が立ち寄れる場を兼ねてシェアスペースとしても運営しているほか、イベントや展示会など短期的な利用ができるシェアキッチン「ひょうご屋」も運営している。

「移住するか否か、白か黒かを迫るのではなく、もっと “グレーの部分” を作りたいんですよね」

「グレー」とは、今は無理だけどいつか佐渡に住みたいという人や、店舗や展示を短期間だけ開催したい人などが使える場所のこと。いろんな人が集いやすように自らも定期的にイベントを主催している。

佐渡に知り合いや友だちができれば、島外で暮らしながらも佐渡を身近に感じる人が増えると同時に、地元の人にも “グレー” を提案したかったという。

「佐渡って、すごい人がいっぱいいるんですよ!」

本職は別にしても、ケーキ作りがうまい、手芸がハイレベル、デザインができる、各方面の情報が集まってくる等々、多才でありながらもそのスキルを活用しきれてないひとも少なくないと感じた。

そんな人たちが、もしも望むなら、新しいご縁をつないだり、副収入を得たりする場があるといいだろうと感じた。

©2018 やなぎさわ まどか

「もっとね、自由でいいと思うんです。同じ日本なんですから、どこに住むとか、どんな仕事するとか、もっと気軽に構えていいはず」

確かに、なにもあわてて「終(つい)の住まい」を探さなくていい。生活の糧をもっと自由に選べていいはずだ。なのに現代人の私たちは、暮らすことをなにやら難しいものに捉える傾向があるのかもしれない。

「佐渡はちょっとだけ通りすぎるよりも、少し長めに立ち寄って、深呼吸しながら過ごすくらいがピッタリですよ」

移住者支援をしている立場であるからこそ、熊野さんの言葉が印象に残る。「移住」という言葉は、どうしても大げさだ。

「疲れたときに立ち寄っていい場所」。そう思えると、大きな安心感に包まれる。

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