止まっていれば芸術、動くとわいせつ。コレ、なーんだ?

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

日本初のヌードショーが開演

1月15日は「アダルトの日」だそうです。そう、エッチ方面のアダルト。

このアダルトという表現、すでに死語と化していそうではありますが、今日は大人の世界をチラ見程度にご紹介したく思います。

そもそも、この記念日ができた背景には、日本のストリップの夜明けがあります。それというのも戦後まもない1947年のこの日、新宿の「帝都座」で日本で初となるストリップショーが上映されました。

のちの帝国劇場社長である演出家・秦豊吉が商社マン時代に欧州で見たショーを日本に持ち込んだものがはじまりとされています。

豊吉脚本による「名画アルバム」と題された演目は、舞台に大きな額縁をつくり、そのなかに裸体のモデルたちが登場するというもので、額縁のなかで女性たちはただじっと立ちつくし、わずかの時間だけ幕が開くとヌードの彼女たちが見え、また幕がしまるという内容。

扮装したモデルや役者が背景の前でポーズをとり、画中の人物のように見せる芸術手法に活人画(かつじんが)というのがありますが、まさしくそれ。

観客の前へと張り出す花道もなければ、“盆”と呼ばれる円形のステージが回転するような仕掛けもなし。だいぶマイルドだったんです。

それもそのはず、規制の厳しかった当時はモデルが動いてしまうとたちまち検挙となってしまう恐れがあったため、額縁のなかで女性たちは30秒ごとにポーズを変え、その度に幕が上がり下がりしていたようです。

止まっていれば芸術、動くとわいせつ……線引きってムズカシイ。

それでも、こうした手法のストリップは「額縁ショー」と呼ばれ、ヌードを求める多くの観客を魅了し、当時の流行語にもなったんだとか。

戦争の抑圧からの解放だったのかもしれません。帝都座の額縁ショーに刺激されるように、やがて浅草ロック座をはじめ次々と専門劇場が誕生。こうしてストリップショーは日本全国へと広まっていきました。

エロと芸術、エロとエンタメの峻別。いつの時代も議題に上がるテーマですが、大人のライブエンターテインメントの黎明期を紐解いてみると、うまいこと際(キワ)を行ってたんだな〜なんて関心しちゃうのは筆者だけでしょうか。

お後がよろしいようで。

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TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。