アメリカの歴史を動かした、ある夫婦の「愛」の物語。

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

ラビング・デー
(Loving Day)

厚生労働省が発表する「夫婦の国籍別にみた婚姻件数の年次推移」を見ると、新型コロナウイルスが世界を蔓延する以前の2019年(最新)で、「夫婦の一方が外国人」というカップルの数は2万1919人だそうです。

国籍を異にするカップルの結婚。今では珍しいことではありませんが、それが“当たり前”でなかった時代がアメリカにはありました。それも、同じ国で暮らしていながらです。

6月12日、アメリカは「Loving Day(ラビング・デー)」をお祝いします。

「Loving Day」、広義に捉えれば「愛の日」。ですが、ここでの「Loving」にはもうひとつ大きな意味が存在します。

© Victoria Garcia Wilburn for Indiana House / Twitter

じつはLoving Dayの“Loving”とは、黒人女性ミルドレッドと白人男性リチャード夫妻の苗字でもあるのです。

のちのアメリカに多大なる影響を与え、結婚における真の自由を勝ち得たミルドレッドとリチャード。彼らこそ、アメリカにおいて異人種間結婚の道を切り開いたパイオニア。

 

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ときは1958年、バージニア州に暮らしていた若き日のミルドレッド(17歳)とリチャード(23歳)は、他のカップルと同じように互いに惹かれ合い、そして結婚しました。

けれど、当時のバージニア州には異人種間における婚姻を禁じる法律「異人種間結婚禁止法」が存在しました。そのため、2人は禁止法のないコロンビア特別区(ワシントンD.C.)で結婚をし、その後バージニア州内に戻り新婚生活をはじめました。

ところが、婚姻の日からわずか数日後、自宅にやってきた警察官によってミルドレッドは逮捕されてしまいます。容疑は「白人男性と知りながら夫に迎えた」から。

夫婦は起訴され、裁判で罪を認めました。週裁判所の判事はバージニア州から退去することを条件に禁固刑を酌量。事実上の州外退去です。夫婦は生まれ育った街を離れることを決断。ワシントンD.C.へと向かうのでした。

 

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遡れば植民地時代より、奴隷や異人種とのあいだの結婚、同棲、性関係を「異人種間混交」という言葉で弾劾してきた歴史があります。背景にあるのは白人至上主義であり、人種差別そのもの。

それは20世紀を迎えても、色濃くアメリカの良心に影を落としていたのかもしれません。結果、「異人種間結婚禁止法」を多くの州が当時は採用していたわけですから。

愛が人種の壁を越える日は訪れない——。

アメリカに暮らす当時の人たちがそう感じていたかはわかりません。でも、ラヴィング夫妻だけは自分たちの信念を貫く決意を固めました。

ワシントンD.C.でいくつかの人権団体の支援を受け、立ち上がったラヴィング夫妻。異人種間における結婚を禁ずる州法は、合衆国憲法そのものに違反するとして、州政府を相手に訴えを起こします。

夫婦の声は瞬く間に広がり、アメリカ自由人権協会が彼らに加担、さらにはジョン・F・ケネディ元大統領の実弟で当時司法長官だったロバート・ケネディを味方につけ、連邦最高裁判所へ上訴

そうして迎えた、1967年6月12日のこと。

最高裁は、アメリカ合衆国憲法修正第14条に定められた適正手続の補償(デュー・プロセス・オブ・ロー条項)と平等保護条項の両方に違反しているとして、バージニア州の反異人種間混交規定を違憲とする判決を下しました。

さらに裁判所は、異人種間混交法は人種差別そのものであり、白人至上主義を継続しようとするものだと結論づけたのです。

人種の異なるカップルの結婚を全土で合法とする歴史的判決に、最高裁首席判事を勤めたアール・ウォーレンは、こう言葉を残しています。

憲法のもと、他人種と結婚する自由しない自由は個人にあり、国家によってそれが侵害されることがあってはならない

55年前の今日、歴史の転換点を迎えたアメリカ。

その“一歩”を踏み出す勇気を讃えた、Loving Day。ある意味では、“愛の結実の日”とも呼べるかもしれませんね。

Top image: © Bettmann/Getty Images
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