知ってるようで知らない、ハワイ建国の祖「カメハメハ大王」ってどんな人?

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

キング・カメハメハデー

ワイキキビーチのデューク・カハナモク像と並んで、いや、もしかしたらそれ以上にハワイで有名な像といえば、オアフ島ダウンタウンに建つ「カメハメハ大王像」ではないでしょうか。

左手に槍をかかえ右手を空に広げ、黄金のマントをまとった筋骨隆々の黒き大王。おみやげもののパッケージにモチーフとして使われていたり、なにかと目にすることがある大王像。

じつは、イオラニ宮殿の前だけでなく、ハワイ州にはあと2つ大王像が存在します。ひとつは、ハワイ島にあるカパアウに。もうひとつは同じくハワイ島ヒロに。どれも左手には平和の象徴である槍を、広げた右手は繁栄を表す同じスタイルです。

知ってました?

ハワイ好きな日本人、きっと1度くらいはその像を見上げたことがあるはずです。けれど、カメハメハ大王がいったいどんな人物で、どんな功績を遺したのかを知る人は少ないはず。

前置きが長くなりましたが、今日6月11日、毎年ハワイでは「King Kamehameha Day(キング・カメハメハデー)」という祝日。ハワイ全州の学校や公共機関がお休みとなります。

今朝は、ハワイの歴史を語るうえで欠かせない存在のカメハメハ大王について深堀りしたいと思います。

 

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1758年ごろに生まれたとされるカメハメハ大王。「ごろ」というのも、ハワイ語を含むポリネシア語には文字がなかったため、正確な生年月日を証明する記録が残っていないんです。

だから、今日の祝日もカメハメハ大王の誕生を祝うものではなく、功績とその生涯を祝うものだとか。ともあれ、ハワイ王国の英雄を讃え週末には、各地でパレードやイベントが開催されています。

まず、カメハメハはなにを成したのかをざっくり言えば、ハワイ諸島8島を統一し王国を成立した、ハワイ建国の祖であるということ。

そしてもうひとつ、カメハメハがハワイの歴史にとってエポックメイキングとなった大きな理由。それが西欧文化との出会いでした。

太平洋から大西洋へと抜ける北航路の発見を成し遂げたイギリス海軍士官ジェームズ・クック。彼は、1778年にヨーロッパ人として最初にハワイ諸島を訪れた人物です。

クックは3回目となる太平洋航海の途中、食料補給のために立ち寄ったマウイ島で、当時マウイに滞在していたハワイ島の首長カラニオプウを船に招き入れました。そのとき同船したのが、カラニオプウの甥にあたるカメハメハでした。

先の誕生が1758年だったとするなら、ちょうど20歳を迎えた頃。初めて目にする大型船舶や西欧人たちの姿は、若きカメハメハにとんでもない衝撃やカルチャーショックを与えたに違いありません。

その後、生まれ育ったハワイ島を掌握したカメハメハは、クックの死後も英国から訪れる船団の使者たちとの交流を深め、西欧の事情や領土統治のハウツーを次々と吸収していきました。

さらには武器や軍事顧問などの援助を受けて、マウイ島、オアフ島へと勢力を拡大。カウアイ島攻略に2度失敗したものの、ついには1810年、カメハメハはハワイ8島すべてを治める国王として君臨することになったのです。

すぐれた外交手腕でアメリカをはじめ西洋諸国との友好関係を維持したままハワイ独立を守り、その文化の保護と繁栄に大きく貢献した南の島の大王。それがカメハメハ。

ところで、これだけの偉業を成し遂げながら、カメハメハ大王には墓がないという事実をご存知ですか?

死後、遺体は長男リホリホに付き添われ、ハワイ島北西部カワイハエへと運ばれ数日間安置されていたことまではわかっているそうですが、その後の消息が不明。

じつは、ハワイには偉大な人物にはハワイの言葉で「マナ」と呼ばれる、言わば超自然的パワーが宿るとされていまして、大王の遺骨に宿るその力にあやかりたいと、盗掘されることを懸念した側近の部下たちによって、密かにどこかに葬られたらしいのです。

大王は南の島のどこに眠るのか?ハワイ最大のミステリーは、いまだ解明されていません。

Top image: © iStock.com/Joel Carillet
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