文化はその道を見出す│最果ての地・ハイダグワイからの手紙

カナダ北西に浮かぶハイダグワイ──。

そこは、1万年以上前から先住民ハイダ族の暮らす離島。文明から一歩距離を置いた手付かずの自然が残るこの土地に写真家・イラストレーター上村幸平さんは移住を決意しました。

「自然との関わりの中での人間らしい営み」をテーマにZ世代の価値観で捉える最果ての地。自然とともに生きる人々を追う連載企画です。

上村幸平

カナダ北西に浮かぶ先住民の島・ハイダグワイ在住の写真家、イラストレーター。1998年大阪生まれ、早稲田大学卒業。「自然との関わりの中での人間らしい営み」をテーマに、身体で世界を知覚しながらヴィジュアルの力を使ってストーリーを伝えています。近況はnoteから。

@siroao

レガリア──ハイダ族の民族衣装──に身を包んだ3人が手にしたドラムを叩くと、600人を超える人々が所狭しと座っている会場は水を打ったように静まり返った。鳥肌が立つ。

©Kohei Uemura

「ポットラッチ」という儀式に参加する。ポットラッチはハイダ族をはじめとした北米太平洋岸の先住民の重要な文化のひとつ。族長の任命や子どもの命名、結婚式や葬式といった節目に、とある部族がほかの部族の人々を招いて祝宴でもてなし、たくさんの贈り物を与えるのである。

『ポットラッチが我らの法』

ハイダグワイ博物館の展示には、そう記されている。文字も記録媒体も持たなかったハイダ族にとって、ポットラッチは法律であり、意思決定の場であり、記録行為だった。ひとつの部族における重要な決め事や行事の際、ポットラッチに招かれた人々は出来事の目撃者・証人になる。彼らの存在こそが、「記述されない記録」になるのである。

©Kohei Uemura

今日はメモリアル・ポットラッチ。故人が亡くなって2年が経ち、喪が明けたタイミングで執り行われる儀式だ。故人は多くのハイダ族を束ねる愛された族長で、ハイダ族自治政府のリーダーのひとりでもあり、政治的・精神的な支柱だった。そのこともあり、年間でも特に大きなポットラッチだ。

「これからこの場所に故人を招き入れます。いつか再会するまでの、最後の面会です」

村の長老のひとりであるセシルはヒノキの皮で編まれた衣装に身を包み、会場にこう呼びかける。いつもはジョークばかり飛ばす陽気な男だが、今日は神妙な面持ちで神事に就いている。

 

彼がスピリット・ソング(死者を最後にもう一度呼び戻す歌)を厳かに歌い上げると、舞台裏から白装束、白のマスクをつけた若い女性が手を引かれて舞台に出てきた。彼女は各テーブルをゆっくりと回っていく。遺族だろうか、友人だろうか。多くは感極まり、マスクの女性を拝みながら涙を流している。

©Kohei Uemura

死者を呼び戻す儀式が終わると、全員が立ち上がる。ハイダ・ネーションの族歌が高らかに詠われ、会場にはハイダグワイ各地の各クランのチーフが入場してくる。各々のクレスト(家紋)を纏い、自分たちのアイデンティティを示す仮面や衣装を身につけている。

©Kohei Uemura

儀式がひと段落すると、食事が振舞われる。現地の食材をふんだんに使った料理の数々だ。「ポットラッチ」は先住民のことばで「贈与」を意味する。ハイダ族の人々にとって、最高の栄誉は「贈る」こと。

その昔、ポットラッチの場でどれだけコミュニティに富を還元できるかがその人物の地位を規定していたのだとか。ハイダグワイ産のオヒョウ、タラ、サーモンの燻製、森でとったきのこが香るマッシュポテト、そして太平洋側で水揚げされたキハダマグロの煮込み。人々はこの地の幸に舌鼓を打ちながら、故人に思いを馳せる。

パドルやマスクを手にした子どもたちが会場に並んで入ってくると、スタンディングオベーションで迎え入れられた。小学生たちはみな各々のモチーフが形どられたレガリアを翻しながら、歌に踊りに必死になっている。若者たちはドラムと歌で音頭をとり、親世代は子どもたちのサポートに入る。おじいちゃんおばあちゃんたちはそれを嬉しそうに、時には涙を浮かべながら見守っている。

©Kohei Uemura

ひとつの屋根の下で、こんなにも多様な世代が「ハイダ文化の継承」というひとつの目的のために魂を注いでいる。そのような営みを目撃できるのはなかなかに素敵なことだ。このようにして世界は──少なくとも、その一部は──確実に受け継がれていくものなのだな、とシンプルに実感する。

ポットラッチ、ダンスや歌、そして言語。先住民たちが数千年という月日をかけて繋いできた文化は、19世紀以降の植民地政府により禁止された。そんな状況のなかでも、警察の目を盗み、アンダーグラウンドで細々と伝統は受け継がれ続けた。

20世紀後半にようやく規制が解除され、先住民文化を復興させる活動が立ち上がる。簡単な道のりではなかったはずだ。70年前にポットラッチが再開された際、踊れる者も歌える者もほとんどいなかったのだという。それが今では、命を宿したようなマスクをつけて若者は高らかに謳い、子どもたちは各々のクレストを翻して舞う。それもこれも、各世代がきちんと自分たちの責任を全うし、次の世代にしっかりとバトンを手渡してきたから。

©Kohei Uemura

文化はその道を見出すんだよ」ひとりのエルダーが、いつかそう言っていたのを思い出す。人間の営みは世代なんてもので切っても切れない、ビロードのようになめらかに繋ぎ止められた一つの物語なのだ。

©Kohei Uemura

饗宴が終わったころには、すでに時計の針は午前2時を指していた。最後にはゲストは抱えきれないほどの食事、引き出物を贈られ、一日のポットラッチは終幕となる。

数千年の間、ハイダ族の精神的・政治的・文化的な営みとして受け継がれてきたポットラッチ。これまでも、今も、そしてこれからも、彼らがこの地にいる限り続いていくのだろう。そんな「ひとつなぎの時間性」をもった営みが、この世界にはまだ存在している。

Top image: © Kohei Uemura
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。