K-POPとも張り合える、日本の「最後の」音楽ジャンル【Gacha Pop】
既得権益に対するオタクの勝利
さて、法政大学の増淵敏之教授によると、日本の音楽業界が苦節に陥った重要な理由の一つに「既得権益に縛られている」ことが挙げられている。
日本の音楽産業は戦前からの長い歴史を有し、それによって知的財産に関する権利保有という産業の利益創出を念頭に置くようになった。後世になると、これがデジタル化、そして表現活動の妨げとなり、結果としてメジャーシーンの衰退を助長していったのだ。
一方、Gacha Popにあたる新世代は、こうした呪縛からほぼ解放されていると言えるだろう。
先述したように、彼らの出身はUGCの総本山であるインターネット世界。そもそも「売る」を目的としていないし、ユーザーとクリエイターの相互作用からなるあのコミュニティは、いわばある種の治外法権だ。
余計な政治の柵に囚われることもなければ、偉い人から「売れろ」と圧力をかけられることもない。代わりに、純粋な創作活動に専念できる──狂気的な熱意の下、オタク心の赴くままに。
昭和的なJ-POPから令和のGacha Popへの変遷は、過去の栄光に囚われぬよう足掻いたオタクたちの勝利であり、日本の音楽の集大成。
こう言うと、普通の人たちに排斥的なようだが、これは筆者を含めた“狭義のオタク”だけに当てはまるものではないはずだ。そもそも「オタク」は趣味や愛するモノによって定義されるわけではなく、それらを夢中で突き詰められる人、そしてそのライフスタイルだ。
韓国が国を上げて戦略を立てたように、日本ではユーザー起点のコンテンツ産業が成長したということ。それを認識さえすれば、あらゆる人と企業が、世界を驚かせるモノを発信していける。
こと音楽に関しては、それは最強のユニークネスだ。オタクの根底たる熱狂や陶酔感は、万人にとっての音楽を楽しむ肝であり、絶対の本質なのだから。
要は、日本は今だにポテンシャルの宝庫だが、これを逃せば機はない。
せっかく「カオス=何でも混在している」日本にいるのだ。何かを作り出すなら、その中から渾身の“ガチャ”を引いてみるのも悪くないのでは?