K-POPとも張り合える、日本の「最後の」音楽ジャンル【Gacha Pop】
世界を驚かせたのは、日本が秘めていた「カオス」
ようやくストリーミング時代に対応し、国内のコンテンツ産業が海外に届くようになった今。
世界が衝撃を受けた要因、すなわち現代の日本っぽさを考えてみよう。参考として、RollingStoneには以下の考察が記されている。
「アニメ、ゲームなどといった日本のポップカルチャーと関連しながら非常に色彩豊かで多様化した音楽が生まれ、それが結果的に海外から新鮮に映り、世界中で愛されるに至った」
ここから、もっと踏み込んで言おう。すなわちそれは「カオス」であると。
Vtuberの稿で述べた通り、いま世界が認識している「クールジャパン」の本質は、デジタル世界のサブカルチャーが養ってきたオタク心だ。そして、その本拠地は最大のカルチャー混在区であるインターネット。
スマホの普及以前、日本のネットカルチャーはニコニコ動画やX(ツイッター)、2chを中心に「オタクの場所」として形作られた。
其処はユーザー同士が非営利的に作りたいものを作れる、現代でいうUGC(User Generated Content)が発達した場所だった為、ネットで生まれるコンテンツは「売る=万人受けする」メジャーシーンのものとは決定的に異なっていた。その結果、ボカロやアニソンに代表されるオタク的な音楽は、商業的な定石から逸脱した作品が揃うようになる。
こうしたカルチャーによって異次元のフュージョン(異なるジャンルを融合した音楽)が繰り返され、いわばクロスオーバーの究極系へと進化してきた。
簡単に言うと、日本には「ルーツが無限に存在する音楽」があるのだ。
多くのボカロ系楽曲においても、単一のルーツ的なものは存在せず、殆どの場合「ロック+ヒップホップ」や「EDM+萌え系」、中にはジャズやメタルを混ぜたもの、果てはミームを詰め過ぎて形容できないほどカオスな曲等、もはや共通項らしい共通項は(表層的には)見当たらない。
一つ例を載せるなら、2021年にボカロ界の“王”ことDECO*27氏が発表した楽曲『ヴァンパイア』。YouTubeやSpotifyでの再生数は1億回を超え、数多のVtuberやインフルエンサーのカバーにも発展した最近のメガヒットだ。
エレクトロ・ポップス調の打ち込みビートに、一部ヘビメタっぽさもあるハードめなギターサウンド。そこにラップを織り交ぜたハメ感の強いボーカルが乗ることで、日本っぽさ全開の“萌えポップス”に仕上がっている……まさに、昨今のボカロ曲におけるトレンドを作ったミクスチャーだ。
挙げればきりが無いほどに、ニコニコ発の音楽はこうした多様性で溢れている。
そもそも、クロスオーバーを軸とするスタイルは、音楽に派生する以前から根付いているものだ。
RollingStoneが紹介した「海外のYouTuberが、アニメと関係ない曲にアニメ動画を乗せて紹介している」事例も、日本のネット民からすれば“MAD”として非常に馴染みのあるだろう。
海外ないしは国内の非オタク人からは斬新と感じられた一連の動向は、10年以上前からニコニコ動画で繰り返されてきたことに過ぎない。そして、幅が広過ぎるこれらコンテンツ群の唯一の共通点、それこそが「カオス」である。
話を戻すと、Gacha Popの最も斬新な点は、(ニコニコ出身のオタクに限らず)こうしたネット世代のアーティストが非常に多くフィーチャーされていること。
YOASOBI、Eve、ヨルシカといったボカロ出身のアーティストたちをはじめ、なとりやZUTOMAYO等、ネットのアンダーグラウンド精神を引き継ぐ新世代は、明確に上記の性質をとらえている。
一度、これまでの流れを整理する。
これまで日本のネット世界で流行っていた音楽が、SNSやストリーミングの発展で世界に発信されるようになった。すると、既存のメジャー音楽と全く異なるものだったため、(日本の大衆も含め)世界が衝撃を受け、バズった……という寸法である。
メジャーヒットの最たる例は、昨年にビルボードのグローバル・チャートで日本初の1位を獲得したYOASOBIの『アイドル』。
同楽曲は、Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロ……というJ-POPにおける型から外れ、展開の度に新しいフレーズが出てくる構成になっている。また、アニソン感の強いムードにK-POPさながらのラップパートが混じっていたり、極端な転調が待っていたりと、非常に“ガチャガチャ”しているのだ。
既存のメジャー音楽からするとかなり希有だが、作曲しているAyaseは現役のボカロPであり、ボカロ楽曲においてこのような構成は珍しいことではない(無論、Ayaseはその中でも別格の存在であるが)。
彼だけでなく、若いアーティストの多くはこうした技法に慣れており、スムーズにジャンルを超越することにも長けている。
このカオスな特徴こそが、まさに世界のポピュラー音楽シーンを釘付けにした“日本らしさ”の正体と言えるだろう。
そしてこれは、音楽性や表現のスタイルに限った話ではなく、市場のシステムそのものにおけるパラダイムシフトでもある。
二番煎じからの脱却
進化であり、回帰でもある
さて、Gacha Popの斬新さは伝わったことと思うが、もう少し明確に、それ以前のJ-POPとの違いを見てみよう。
J-POPというジャンルは、80年代末期に「洋楽(つまり英米の音楽)と遜色ない邦楽」的な意味合いで誕生した。言ってしまえば、そもそも“洋楽の二番煎じ”を目指したものだったのだ。
30年以上が経過した今、日本以前に、世界のポピュラー音楽事情自体が大きく変わったのは想像できるだろう。
現行のグローバル・シーンは、当時日本が目指していた英米だけが正義ではなく、独自性を確立したK-POPやラテン系楽曲をはじめ、非常に多様化が進んでいる。
そんな状況で、英米の真似だけでは海外でウケない。ストリーミングを通して世界にコンテンツを投入するなら、溢れる情報の中でも輝く圧倒的な“アイデンティティ”が必要だ。
そこに国を上げて戦略的な音楽を展開したのが韓国であり、日本が差をつけられた要因でもある。
ただし、かくいう韓国もずっと「日本を目指して」エンタメ産業を展開させてきた。aespaがやたらにSF・ゲームっぽいのも、NewJeansのユニークな世界観も、ルーツにオタク系やヴェイパーウェイヴといった日本のサブカルがあるのは明白だ。
韓国はずっと日本産コンテンツの魅力と本質を知っていて、それを自己流にマッシュアップ・アレンジすることで、ジャンルを超越した「Kスタイル」を確立した。日本国内でオタク排斥の風潮が続いていた間、他所ではその価値が認められていたのだ。
だからこそ、Vtuberの世界展開や『アイドル』の記録的ヒットは革命であり、日本国内からカルチャーを再考するきっかけだったと言えよう。
かつて反映したジャンルの脛を齧り続けるなんていうのは、現代にすることではない。世界が求めるのは「斬新さ」で、音楽がそれを成すにはジャンルの壁を打ち壊すしかないのである。
Gacha Pop(Spotifyの取り組み)の誕生は、上記の音楽業界の悩みに加え、海外での日本文化の拡大、それを受けてカルチャーを再検討する国内の情勢と、いくつもの要因が重なった絶好のタイミングだったわけだ。
世界が求めている日本らしさを再認識したという点で、Gacha PopはJ-POPの進化形であると同時に、本来国内で育まれていたコンテンツ産業への「回帰」とも捉えられるだろう。