世界の夢を拾い集めたら、カラフルな世の中をつくることにした -小林嶺司

 

小林嶺司

大学2年時に休学して、1年間世界一周の旅に出る。旅先ではヒッチハイクや野宿を繰り返しながら、世界中の人々に夢を聞いて回り、彼らと人生について語り合った。旅の終盤に、日本で東日本大震災が起きる。心を痛めるが、自分なりに日本と世界に対してアプローチすることを決め、その結果、旅の答えを見つけ出す。メディアでは、旅中にブログで記事やYouTubeで動画を発信し、帰国後は『旅ニ生キル』(エベイユ)を出版し講演にも出演する。現在は、株式会社IPPOMEを起業してカラフルな世界作りをしている。そんな小林さんにお話を伺った。

001 世界中の人々は何を考えているのだろうか

小林嶺司

Q.

なぜ大学を休学してまで世界中の「夢」を集める旅をしようと思ったのですか?

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理由は2つあります。一つは、自分の幅や価値観を広げたかったから。旅に出る前は、大学の狭いコミュニティの中で、大学をただ無難にこなす毎日。その生活は、辛くて逃げ出したくなるようなものじゃなくて、むしろとても気楽なものでした。でも、次第にその生活に明るい未来を見いだすことができなくなって、その生活が続いていくことに恐怖心を抱くようになりました。自分の生きてる世界が小さすぎたんですよね。そこで、日本っていう狭い枠組みで生きてきた自分の幅をもっと広げてみたいって強く思いました。

もう一つは、「世界中の人々は何を考えているんだろう」っていう、純粋な疑問があったから。テレビとかインターネットとかのメディアを通して伝えられる世界は本物の世界じゃないに違いないって思ってました。だから、実際に世界を見に行ってやろうって。同じ目線で生活をして、同じ釜の飯を食って、同じ空を見上げて、酒を酌み交わしながら、お互いの人生を語り合いたかったんです。特にアフリカ人と南米人が何を考えているかに興味ありました。

002 広く浅くではなく、狭く深く

小林嶺司

Q.

「夢」を集める旅をして得たものを教えてください。

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初めはできるだけ多種多様な人たちと語り合いたいと思ってました。けど、話しててすぐに自分の夢を語ってくれる人が多い国もあれば、すぐには語ってくれない人が多い国もあった。そこで、夢を聞き出すためにまず一人と仲良くなることを心がけるようにしたら、様々な国の人たちから夢を聞き出すことができた。語り合った世界中の人々とは今でもSNSなどを媒介にしてつながってるんです。結果的に、多くの人たちと浅い関係性で終わる旅より、少ない人数でも深い関係性になる旅をしてよかったと感じてます。

また、世界には困窮してる国が多かったことに気付かされました。たとえば、あるルワンダ人に彼の夢を聞いたら、彼の口から「子供たちのために学校を建てたい」という言葉を聞きました。彼がそう願っていた背景には、1994年にフツ族がツチ族を虐殺したルワンダ大虐殺があった。知識人が虐殺されてしまった上、若者が少ないという事実。多くの発展途上国の人々は、自国のことを真剣に考え、問題を解決したいっていう思いやエネルギーが凄まじかった。それに対して、そんな問題とは無縁の先進国である日本は、何かの問題を解決しようとする思いやエネルギーが弱いんじゃないかと思います。やっぱり、メディアを通して目にする世界はリアルな世界の断片にすぎず、自分の足で現地に行って五感を働かせて心で感じければわからないことが多い。旅に出ることの重要性に気付かされました。

003 旅のコタエとネットのチカラ

小林嶺司

Q.

旅が佳境に入っていた2011年3月11日、小林さんはイギリスにいたのですよね。当時の思いや行動に移したことなどについて教えてください。

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旅の終盤、「この旅で誰かに貢献することができたのだろう」ってずっとモヤモヤしてました。それと、海外を駆け巡ったからこそ、人、物、サービスなどあらゆる面における日本の素晴らしさが際立って見えて、日本を愛する気持ちが強くなってました。そんな中、東日本大震災が起きました。僕はイギリスのテレビでそのニュースを見てその場で泣き崩れました。異国の地にいる僕は日本のために何ができるのだろう、と自分に何度も問いかけた。僕には、旅を通じて様々な夢を聞いてきた世界中の友達と、インターネットを媒介とした発信力がありました。

そこで、世界中の友達に日本に対するメッセージを紙に書いてもらい、それを写真に撮って僕に送ってもらって、僕がそれらを日本に発信するというアイデアを思いつきました。偶然、その時イギリスにいらっしゃったヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんにも協力していただくことができました。日本からの反響は非常に大きいもので、僕が旅で得たものを活用して人の役に立つことができたと感じることができました。自分の中にあったモヤモヤは解消されて、僕はようやくこの旅の答えを見つたんです。

004 人の人生を、日本を、そして世界をカラフルに

小林嶺司

 

Q.

小林さんは帰国後、株式会社IPPOMEを起業して、ウェブ制作やシェアハウス経営をしてますよね。小林さんは、カラフルという言葉を、人、国、世界が全力で輝いている状態のことと定義してますが、具体的にどんなビジョンを持って現在活動しているのか教えてください。

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世界を旅する中で、それぞれの国には唯一無二のカラーがあることに気づき、それを発見するのが楽しくて仕方がありませんでした。日本もカラフルな世界の一員として、独自の強いカラーを放ち続けて欲しい。グローバル化に伴ってフラット化や画一化が進む中でも、日本として大切なものは失って欲しくない。ジャパンというカラーを世界に発信して、世界をさらにカラフルにしていくため、株式会社IPPOMEを起業しました。

具体的に株式会社IPPOMEでは、一人一人がカラフルな世界を作り出して欲しいという思いから、ウェブを通じて夢を叶えたい個人を応援しています。それと平行して、日本の古き良き伝統を残していきたいという思いと、日本人の横の繋がりを作っていきたいという2つの思いから鎌倉でシェアハウスを経営して共生を目指しています。今後も、ひとりひとりの人生を、日本を、そして世界をカラフルにしていきたいです。

Tabi-laboインタビューアー〈別府大河〉一橋大学商学部2年生。海外を旅して、世界における日本の可能性を感じる。将来は、日本から海外へ、海外から日本への架け橋となり、世界中に「幸せ」を創出することを志す。2014年9月からコペンハーゲンビジネススクールへ交換留学し、そのまま休学し世界中を巡る予定。
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。