ポーランド流「ミニマリズムの本質」にハッとする

様々な国で「ミニマリズム」を語り、その概念を広める活動をしている「Becoming Minimalist」のJoshua Beckerさん。

これまでに多くの国を訪れた彼ですが、なかでもポーランドでの講演はかなり印象深いものだったそうで。

遠く離れた国の出来事かつ、やや長めの文章ですが、いま日本で生きる私たちにとっても示唆に富む内容であることは間違いありません。

ワルシャワでミニマリズムについてのスピーチをしました。舞台はヨーロッパ各地から1,000人ほどが出席したカンファレンス。とはいえ、そのほとんどは主催国のポーランドからきているようでしたが。

この経験は、本当に印象深いものでした。

まず私は、妻と一緒に父権運動のリーダーたちの功績を讃える前夜祭に出席しました。そこでは一般人から企業のリーダー、政府の役員たちの名が呼ばれました。いずれも戦争で引き裂かれた家族の絆を大切にしようと立ち上がってきた人たちです。

私たちの夕飯の席には、私と同い年で、英語教師のピーターという男性が通訳としてついてくれました。彼こそが、初めて私にポーランドの生活について教えてくれる人物となったのです。

歴史について詳しい人からすると必要ないかもしれませんが、軽くポーランドの歴史について触れさせてください。とても大切なことだから。

ドイツがポーランドへ進軍を開始したのは、1939年9月。第二次世界大戦がはじまったばかりの頃でした。

当時ドイツの陸軍は東へと進み、ソビエト連邦は西に向かっていました。ポーランドが征服された1939年の暮れには、ポーランドの知識階層や貴族、聖職者、教師がドイツ人に攻撃されました。

やがて土地はヒトラーとスターリンの合意のもと、ドイツとソビエト連邦の間で分けられましたが、ヒトラーはロシアを潰す覚悟で、その条約を1941年に破ることになります(結局負かせることはできませんでしたが)。

このふたつの超大国が争う中、ワルシャワはただ静かに存在していました。

ところが1945年、この街に悲劇が起きたのです。ドイツ人に打撃を受けた後、今度はドイツの陸軍を打ち負かそうとロシアの陸軍が立ち入り、ワルシャワは崩壊。第二次世界大戦後、人口が130万人から15万人へと激減したワルシャワには、死者がいない道などなかったらしい。そのため、ワルシャワは今でも"City of Memorials (記念碑の都市)"として知られているそうです。

1945年は、そこまで遠い過去ではありません。一世代が40年だとすると、私がカンファレンスで見かけた人たちは、第二次世界大戦で虐殺されたであろう人たちの息子たちに該当します。

つまり、彼らこそが厳しい生活環境で育てられてきた当事者たちだったということ。

歴史は続きます。

第二次世界大戦後、ポーランドの土地のほとんどはソビエト連邦に支配されることになり、1989年まで共産主義政権のもと存在し続けました。ようやく欧米のように民主主義、自由市場、そして資本主義などが取り入れられるようになったのは1991年のこと。

1991年は、そう遠くない過去です。前述した通り、私の通訳者であり夕飯を共にしたピーターは、私と同い年でした。さらに彼には、私の子どもと同じ年齢の子どもがいます。

しかし、彼らは私の家族とはかけ離れた生活を送っていました。彼は共産主義のもと育ち、街角のお店からパンをもらうために並ぶ人たちをアパートの窓から眺めていたと話してくれました。彼は私には考えられない幼少期を送っていたのです。

25年前まで共産主義国で暮らしていたからには、"自由市場や資本主義を取り入れた"と言っても、これらに対する概念は私たちが持つものとは多少異なります。このような人生を経験してきた人たちの前で、私はミニマリズムのメリットを話すため、ステージに立ちました。

それは決して軽く受け止めてはならないことだと知った上で。

何かを所有することで、人は幸せや満足感から遠ざかってしまうという点に、多くの人が共感していたようでした。私はこの話を複数の国でしてきましたが、どの国に行っても、共感を覚える人が多いです。要らないものが散漫するクローゼットには誰もが心当たりがあるようですね。

でも、歴史や政治、経済背景をもとにこの概念を噛み砕くポーランド人を前にして、私は視点を変えて結論を導いたほうがいいと感じました。ポーランドは恐ろしいほどお金を消費するような国ではありません。

だから私はこのメッセージでスピーチを締めくくりました。

「いまある自由を有効活用し、企業家になる機会をつかみましょう。でも、そうする中で、自分にとって大切なものを失わず、長期的に情熱を持ってチャレンジしてください」

無事プレゼンテーションを終えた後、私はカンファレンスの主催者と夕飯を共にしました。

彼は、「参加してくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えてくれて、私は素敵な団体のメンバーとかけがえのない時間を過ごせました。

でもそれ以上に感慨深かったのは、彼の団体が家族間の絆を強めるため、そして健全な社会を築いていくために中欧で行っている様々な取り組みの話です。

私はポーランドの印象を聞かれたので、「豊かな歴史が詰まっていて、人間の回復力が学べる美しい国だ」と答えました。続けて、ピーターから聞いたポーランドの歴史、そしてポーランドが持つ将来への見解について意見を述べました。そこで私は初めてミニマリズムの本当の重要性と重みを知ることになったのです。

彼は話すか話すまいか躊躇する様子を見せつつ、私に切り出しました。

「私があなたを招待した理由を聞きたいですか?」

「もちろんです。教えてください」

「若い頃、私にはとても尊敬していた師がいました。彼はアウシュビッツを生き抜いたひとりで、他国の勢力に支配されたポーランドで人生のほとんどを過ごした人物でした。

最初はドイツに支配され、のちにソビエト連邦にポーランドは支配されていました。彼の言葉で、今でも忘れられないものがあります。彼は西欧の旅から帰国したとき、私にこう言いました」

「私は、物質主義が共産主義と同じように人を拘束することを知っている。共産主義は権力を使って個を破壊する。だが、物質主義は選択によって個が自らを破壊する行為なのだ」

「この言葉こそが、私が今回あなたを招待した理由です。あなたに個人、そして社会にひらめきを与えて欲しかった。私たちが、ようやく手に入れた自由に縛り付けられないように」

それを聞いた私は、ハッとしました。

ミニマリズムは、とても重要なメッセージを秘めています。これは、自分にとって最も大切なものを追求することで、自分にとって重要なリソースを最大限使えるようになること。ある意味、とてもパーソナルな決断です。

ものを減らすことで、より充実した人生を手に入れよう。私はこの話を生涯心に留めておくと思います。

そこでみなさんに一つお願いです。

ミニマリズムとは、個人的な決断であると同時に社会を変える行動でもあると心に留めておいてください。それは個人の情熱を追求しながら、社会に新たなアイデンティティを託すことができるツールなのです。

自由は贈り物です。でもその自由に価値を見いだせるかは、一人ひとりがどのように自由を扱うかにかかっているのです。

Licensed material used with permission by Becoming Minimalist
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