「シンプルな生活が一番」な理由を聞いたら、シンプルに納得した。
つねに忙しくしていると「生活が充実している」なんて思うかもしれませんが、案外ひとつひとつの小さな出来事を噛み締められる人のほうが心は満たされているのかも。
そう感じさせてくれるのは「Becoming Minimalist」のJoshua Beckerさんの記事。あなたは、本当に必要なものだけをキープするミニマルな生活に臨むことはできますか?
「ミニマル」な生活って?
「ミニマリストになるということは、物質的なものではなく自分という人間に価値を置く、ということ」—Brian Gardner
ミニマリズムとは「持ち物を極限まで抑え、本当に必要な物と暮らすこと」だと考える人が多いよう。この解釈は、"概ね" 正しいと言えるでしょう。
なぜなら人生とは目に見えるものだけで構成されているわけではないから。内からの想いありきで成り立っているのです。となると、ミニマリズムを取り入れる上でも、"内からの考え"が必要不可欠ということ。
物を通してアイデンティティを作り上げたり、幸せを手に入れようとするのは"物質的"。でもだからといってむやみに"物"を捨てても、処分する行為に何かしらの想いがなければ、物は何の意味も持たないまま、ただ排除されていくだけ。
考えと方向性を持ってこそ、人は成長し、より鮮やかな人生を送れるようになります。ならば「本当の自分」を掘り起こして、シンプルに生きてみよう。不必要なものの「削ぎ落とし」を極めよう。意味のあるものだけを残していく作業をひたすら続けよう。
01.
クローゼットをミニマル化する
私が持ち衣装をミニマル化したのは、2年前のことです。
ジーンズに何かしらの色がついた無地のTシャツ、そしてVansのスニーカー。これこそが私が最も自分らしくいられる鉄板衣装。2年前から、私はこの格好に沿った服のみ揃えるようになりました。
すると朝「何を着よう」と悩む時間が削減でき、出掛ける5分前に食卓について家族と話す時間までもが作れる。着る服に迷わないで済むと、ストレスも一つ減りますよ。
02.
意図的にデジタルから
離れる時間を作る
世界と個人を繋げるツール、スマホ。でも対画面で過ごす時間こそが、私たちを「いま目の前にあるもの」から引き裂きます。これを理由に、私は数年前に通知が一切こないよう設定を変えました。
電子機器にまつわる、とある土曜の夕方のお話。妻と息子が出掛けているとき、私は「最も多くの時間を過ごす居間に置いてあるテレビを別の部屋に動かそう」とふと思い立ちました。早速それを実行してからは、テレビに会話を邪魔されなくなり、家族の絆が深まった気がします。みんなで一緒に遊んだり、音楽を聴いたり、歌ったり、突然ダンスパーティを催したり、各自読書をしたり、静かな時間を共にするようになりました。
03.
地位を追い求めず
やり甲斐を見つける
朝起きるのが億劫なのは、仕事が好きになれないから。これに共感する人は多いのでは?でも残念ながら、週の大半は職場で過ごすもの。なのに週末だけを待ち遠しくして週を過ごすのは、なんだか勿体ない気がしませんか?
ならば捉え方を変えてみるのにも価値があるはず。たとえば、ワークライフバランスに執拗にこだわらず、「ワーク」を「ライフ」のうちと考えてみる。そうするために、自分にしかないスキルを会社という場で日々極めてみる。このように角度を変えて仕事に取り組むと、起床と共に襲ってきていたどんより気分も、ちょっとは軽くなったりするもの。
04.
「No」と言える人間になる
以前までは、成功するためにはとりあえず「Yes」と言わないと…なんて根拠もなく自分を追い込んでいました。でも結局関心のないことにコミットしてしまうと、友だちや家族、仲のいい同僚との関係が犠牲になるばかり。
一方で「No」と断ると、本来大切にしたいものや人へ時間が割けるようになります。なんでもかんでもやればいいってもんじゃありません。自分にとって価値のあるものをいかに選び抜けるか。これが肝です。
05.
「平凡なとき」を楽しむ
自分の成長にフォーカスを当てるようになってから気づいたのは、幸せの大半は「平凡な日常」に転がっているということ。子供を保育園へ連れて行くときのドライブにも、子供が寝付くまで本を読んであげる時間にも、家族全員で食後にするお片づけも。
大したことではないかもしれませんが、ごくごく普通なときが私たちの人生に色味を与えます。だからこそ、平凡な瞬間ほど大切にしたいところ。
私は、何もミニマリストを目指していたわけではなく、自分をケアする過程で「いつしかミニマリストになっていた」気がします。いらないものをそぎ落とすことで、私はようやく充実性を手に入れることができたのです。