「ひでじはバカ」? いいえ、愛に溢れた宮崎のビール会社です。
「ひでじはバカだから」。
これ、先日参加した「クラフトビールで地方創生」というイベントで「宮崎ひでじビール」の社長がたびたび口にしていた言葉。最初は自虐かな、なんて思いながらさらっと聞いていたんだけれど、話を聞きすすめていくと、その自虐的な言葉は、私のなかで、「ひでじビール」を讃える言葉以外の何ものでもなくなっていた。講演の端々からは「地域愛」がひしひし。スリルあり、そして何より愛情あり、そんなひでじスピリッツを共有する。
名前の由来は
ひでじ〜さん!
「ひでじビール」は、宮崎県のクラフトビール。オール宮崎産を実現すべく、地域から世界を見すえたビールづくりを行っている。
「そもそもひでじってなに?」なんて素朴な疑問がとんできそうなので先に言っておくと、「ひでじ」は、創業者の西田英次氏からきている。宮崎の北部・行縢(むかばき)山の麓にあるブルワリーは、1996年の地ビール規制解禁と同時に、当時すでに高齢だった英次氏が山を切り開いてつくったのだそう。「ひでじビール」は、ひでじ〜さんと呼ばれていた彼に敬意を評して名づけられたというわけだ。
世界を見すえる「ひでじビール」は、先月偉業を成し遂げた。彼らは海外用商品の開発も行っているのだが、そのひとつ、宮崎の栗を副原料とした「栗黒」という商品が、世界二大コンテスト「ワールドビアアワード2017」で世界最高賞を受賞したのだ。ラベルには、ニンマリと笑う宮崎県延岡市の「能面」が。こういうところでも、地元宮崎の発信は忘れない。
ちなみに「栗黒」は現在日本では手に入らない。飲もうと思ったら、今のところ、輸出先のアメリカ(18の州へ輸出)へ行くしかなさそうだ。
まだくるか?
驚くほどの試練の連続だった。
順風満帆!なわけでは決してなくって、現在に至るまではとにかく波乱万丈。色々ありすぎてここで記すには限界があるため、かなりかいつまんで整理してみる。そしてこの歴史的な話でも、冒頭の「ひでじはバカだから」が何度か登場したのだが、どこで登場したのかは、一旦ご想像におまかせする。
試練その1:開業するも、売れない。
根本的な技術不足に加え、当時世間では、クラフトビール=個性的(言葉を選ばずいうと、まずい)の概念があったらしい。
試練その2:大掛かりな技術改革をして自信作が完成したにも関わらず、そんなに売れない。
ビール酵母の純粋直培養技術を導入。このとき、「ひでじビールはおいしい」と色んなところに営業していたこれまでの自分を否定せざるを得ないほど、おいしいビールができたそう。なのに、売れない。原因は、社長いわく「一度でもマイナスな部分がインプットされてしまうと、人は同じものに再トライしようとはしないでしょ?」とのこと。納得。
とはいえ、当時この技術を導入したことで、地ビール業界ではめずらしいラガー系の商品で勝負できるようになったのだとか。
試練その3:延岡市民・宮崎県民を一旦捨てる決意!?
その名も、情報の逆輸入作戦。「宮崎県民に買ってもらえないなら、東京の人に取引をしてもらおう!そして、コンクールに片っ端からエントリーして賞をとってやろう!それをメディアにたくさんとりあげてもらおう!」というわけだ。これは思惑どおり。その頃、宮崎では、「東京で、ひでじビールが売れとるげな」状態。県民に「ひでじビール」を手にとってもらう機会がだんだん増えていったそう。
試練その4:ひでじビールの撤退が決定 → 当時の社長に買収を持ちかける。
好調に思えた【試練その3】から3年ほどたった頃の話。当時の代表取締役が亡くなったことで会社が方針転換。現社長が当時部長として出席していた会議で突きつけられたのが、「ひでじビールの撤退」だった。途方にくれた現社長が会議の帰りに車の中で考えついたことが、「ひでじビール」を自分の力で残すことだった。「貯金なし、人望なし、ネットワークなし。あったのは熱意だけ」。社長は笑いながらさらっと話してくれたんだけど、どれほど大変だったかは、たぶん想像を絶しているはずだ。
ということで、2010年11月に、新生「ひでじビール」がスタート。この時に、徹底して地域貢献をすると決めたんだそう。なぜなら、地元の有志の人たちの応援を受けて独立し、これまでたくさん地域の人に助けられてきたことが痛いほど身にしみていたから。
そして、試練その5:「2010年」&「2011年」
口蹄疫、新燃岳の噴火、鶏インフルエンザ。宮崎の一次産業、観光産業は大打撃。「もうダメかもしれない」と思っていたこの頃は、県外の取引先から支えてもらいながらビールづくりを続けてきたそうなんだけど、宮崎県民として心が晴れることはなく・・・
一方的に、
宮崎の農業を応援!
数々の試練を乗り越えながら、より深く意識していったのは、やっぱり「地域」とのつながり。少しでも宮崎の力に、との想いを込めて走り出したのが「宮崎農援プロジェクト」。宮崎の農畜海産物を積極利用した商品をつくり、県内の地域活性化につなげていく。マンゴー、あやむらさき(宮崎の紫芋)、古代米、飫肥杉(おびすぎ)まで・・・。これまで数十種類もの特産物がおいしいビールとなって世に送り出されてきた。
上にならべた特産物を見て、「ん?」と思った方もいらっしゃるかもしれないが、WEBサイトにてこんな言葉を発見した。
注)限定醸造ビールでは、枠を外れて楽しむ場合もあります。それもまた少量生産ならではの楽しみ・・!
遊び心がなんともステキ。でもこれ、あくまで発想の話。姿勢はいつも全力投球だ。
とにかく、宮崎。
「ひでじビール」の10年来の夢、それが「オール宮崎産」。しかも、原料だけじゃなくて可能な限りぜんぶというから驚きだ。
そして、その夢に近づいたのが約1年前に完成した「YAHAZU(やはず)」。ノウハウはもちろん、麦芽、酵母、そしてタンクまで宮崎産を実現している(このとき、残るはホップだけ!)。 ちなみにこちらの「YAHAZU」、一般販売はなく、宮崎県内の飲食店でのみ飲むことができる。「このビールが飲みたかったら宮崎へこい!」というわけだ。
ここで少し、タンクに焦点をあてる。
設置当時、ビール用タンクの製造を行っている企業は日本で数えるほどしかなかったそう。“なんとか宮崎でできないか?”と考えた社長の頭に浮かんだ仮説がこれだった。
「延岡には、世界のトップランナーである旭化成がある。そして旭化成を支えてきたのは延岡の中小企業や下請け企業。世界レベルの溶接技術と研磨技術をもってして、延岡でビールタンクがつくれないわけがない!」
思い立ったらすぐ行動するのがひでじ流。またまた熱意で地元企業を説得したところ、「ひでじさんが言うなら」と未知なる挑戦にも関わらず快諾してもらったそう。結果、より高品質の醸造ができるようになった宮崎製タンクがひでじクオリティに拍車をかけたのだ。
そして、ついに今夏、九州初のホップの収穫に成功!そもそもホップの原産地はヨーロッパ。日本でも北海道、東北など北のほうの一部地域で生産されていたりする。ドイツ・バイエルンのホップ栽培指導者に、宮崎の気象条件などを伝え、相談したところ、返ってきたこたえは「NO」。不可能と言われてもめげず、育てつづけ、初収穫にこぎつけたのだ。真のオール宮崎産ビールを飲むことができる日も、そう遠くはないのかもしれない。
外貨を稼いで、
地域に落とす。
地産地消+地産外消。地域でつくり、地域で共有しつつ、海外までをも市場に取り込む。創業当時に決めた「徹底して地域貢献をする」ことを体現した、本気の地方創生なのだ。
冒頭で取りあげた「ひでじはバカだから」という言葉。社長はこの言葉を、一見無謀に見えることに挑戦した話をする際の前置きとして使っていた。自分のために挑戦し続けるのでもスゴいことなのに、この話上の一連の挑戦はすべて「地域」のため。「ひでじビール」は、きっと、宮崎のために何かがしたいという一心でここまできたのだ。そして、それに結果として「世界一」という冠がついたのである。
締めは、社長が大好きだというこのフレーズをおすそ分け。
〜大いなる田舎〜 行縢から世界へ