「あたしおかあさんだから」に思うこと。
絵本作家の、のぶみさんが作詞した「あたしおかあさんだから」が話題になっています。ポジティブな反応も、ネガティブな反応もあって、なんだか大論争。
私もおかあさんです。…いや、なんかしっくりこない。
私、家では母ちゃんもやってます。…うん、この表現の方がしっくりきます。
今はこうしてわかったようなことをしれっと書くライター業をしているけれど、家に帰ればバタバタ走り回る母ちゃん業に勤しみます。そんな私が「あたしおかあさんだから」の歌詞を読んで、思ったこと。
これからを生きる女子たちに「おかあさんになるのってなんか大変そう」って思ってほしくないな、って。
そんなにツラくないよ
たしかにね、おかあさんはいろんなことに制限が生まれます。「おかあさんは大変じゃないです」なんて、口が裂けても言えません。でも、それは解決策がないツラさじゃない。と思います。
大好きなお酒が外で飲めない
↓
子供と一緒にお家で乾杯!
(もちろん子供はジュースです)
大好きだったヒール靴が履けない
↓
今まで興味もなかったスニーカー情報を収集
(ついでに子供とお揃い)
これは私の場合だけど、絶対的に“できなくなること”って、実は少ないんじゃないかなって。形や方法、場所は変わるかもしれないけれど、やりたいことを諦める必要なんてないんです。それが「おかあさんだから」という理由では。
人生は子供がいようがいまいが変化する
子供を持つということがきっかけでなくても、人生って変化の連続だと思うのです。
年をとって、体が思うように動かなくなる。そうしたら、その体にあった運動をしたり、生活をしますよね。急な人事異動で住んだことのない土地に転勤になれば、慣れない方言に四苦八苦しながらも新しい仕事をこなすでしょう。
おかあさんになるっていうこともそれらと似ていて、日々起きる大小様々な変化に対応していくだけなんです。我慢するんじゃない。臨機応変に対応していくだけなんです。
べつに論争に加わりたいわけではなくって。子供を持つことを推奨する気も、持たない道を推奨するつもりもないのです。ただ、いたずらに不安になってほしくない。
なにがおこるのかわからない未来を漠然と不安に思うのは誰でも同じ。おかあさんになることだけではなくて、“変化”を怖がらないでいてほしいな。