「誇張」があたり前のこの時代に、「リアル」は届くのか?
「人に伝える」って難しい。
自分には当たり前のことも、誰かにとっては当たり前じゃない。だからといって丁寧に伝えすぎたら、受け手も疲れてしまう。何をどうやって伝えればいいのか。自分では伝えたつもりでも、本当に相手に伝わっているか確かめる術はない。ライターになってより一層「人に伝える」ことの難しさを知った。
そして今、発信者は全国、いや世界中にたくさんいる。
だから、伝えたいことがある人は、かなり必死だ。大きな声を出さないと気づいてもらえないかもしれない。ちょっと大げさな言葉にしようか。目立つ写真に変えてみようか。荒波の中で自分が助かるためだったら手段を選ばない、そんな人のようだ。私だって、そのうちの一人。
言葉を選ばずにいえば、私のようなライターにとって取材相手というのは一つの「ネタ」でもある。自分が作りたい企画という「ゴール」が先にあったら、取材相手はそこに向かうための「手段」にすぎない。自分が得たい言葉が得られたら、そこで取材は終わり。
もちろん取材相手や読者に真摯に向き合っている人たちだって沢山いるだろう。
今年で創刊4年目を迎えたライフスタイル誌『nice things.』は、「相手の内にある言葉を大切に伝えること」を編集者の使命のひとつとし、東京から日本各地の工芸の職人やクリエイターのもとへ足を運び、自分たちが聞いてきた声を誇張することなく、読者のもとへ届けている。
私も一年前までは編集部の中にいたから、nice things.が取材相手に敬意をもって誌面作りをしていることは知っている。一般的にライターと編集者は別々というメディアも多いなか、編集者自身が「自分で書く」というのはあまり効率的ではない。
そんな彼らが、今年の1月に〈トモダチノ家〉という空間をオープンした。メディアがリアルな場所を持つのは、決してめずらしくない。だけど、同じ伝え手として、かつて一緒に働いていた者として、彼らがそこで発信したいことに興味を抱いて、私は東京から新幹線に乗り、大阪へ向かった。
ここは、店でなく「家」
〈トモダチノ家〉があるのは2階。同じ空間にはカレーが人気の〈OXYMORON〉やコーヒーが飲める〈EMBANKMENT COFFEE〉、インドを中心とした手仕事の洋服や雑貨の店〈KALAKARI〉も。
大阪・北浜。オフィス街でありながら、ゆったりできるカフェも多いこのエリア。土佐堀川のほとりにある築100年以上の二階建ての長屋は、ビルとビルに挟まれてなんだか小さく見える。
1〜2ヶ月ごとに展示内容が変わっていくというトモダチノ家。雑誌の特集を眺めるように、何度訪れても楽しめるようになっている。この日は、「器の約束」「成長物語」「ふたしごと」「土から掘る器」「香りを贈る」「あなたのニット」の6つの展示が開催されていた。
窓辺のデスクに、鉄のハサミが置かれているのが目に入った。
「試しに切ってみてください」と言われて手に取ると、普段自分が使っている家庭用のステンレスのハサミより、ずっしりと重みがある。紙を切ってみると、「シャリッ」とした刃触りでなめらかに切れた。
隣には、数年使われて黒みがかったハサミも並べて展示されている。ここにある物は、「長く使えること」をひとつの物差しにして選んでいるのだという。
自分のハサミのプラスチックの柄の汚れは「劣化」にしか見えなかったけれど、鉄のハサミのそれは「味」に見えた。長く使える物というのは、新品の状態だけが最上ではなく、むしろ使い始める日が「物としてのスタート」なのかもしれない。
兵庫で4代にわたってハサミを製造している〈TAjiKA〉のハサミ。
店の人に話しかけるのが苦手な人は、壁に貼られた誌面を読むこともできる。
モノの背景を知る編集者が
「店」を持つということ
トモダチノ家で出迎えてくれた、家長の田中嘉さん。彼は、今年の1月までnice things.で記事を書いてきた編集者のひとり。26歳。私と同い年だ。
誌面を通して「物が生まれるまでの背景」を伝えている同誌。作った人の顔が浮かぶ物、どうやって作られているか分かる物は、やっぱり誰が作ったのか分からない物よりも愛着が湧くし、ずっと大切に使いたいと思える。それは編集部を離れた今も、感じている。
だが、雑誌を作っているなかで、いつももどかしく感じることがあったと田中さんは言う。
「僕たち編集者は実際に現地に行って、作り手の声を直に聞くことができるし、作っている様子や気魂を感じることができる。それを言葉にして伝えるのが仕事。
だけどいつも思っていたのは、情報には言葉で伝えられる部分が沢山ある一方で、その過程で削がれてしまうものも多いのではないかという苦悩が常にありました。
真剣に作る表情。人間の底にある静かな叫びや無意識の自己みたいなものを一番伝えたいのですが、文章ではどうしても伝えられない。これは自分の表現力の問題でもあるのですが、それを直接伝えられたらとずっと思っていました」
読者に見てもらえるのは、あくまで編集者やカメラマンのフィルターを通った言葉や写真。取材をした日のほんの一瞬にすぎない。
「メディアが、自分たちが、できることってなんだろう」
考えて、考えて、そして出したひとつの答えがこの場所だったのだろう。
瀧川かずみさんによる蝋引きの帆布バッグ。
〈匙屋〉の木のスプーン。
「自分たちが取材現場で感じた空気も、
ここで感じてもらいたい」
ここに展示されているのは「作品」だけではない。
鹿児島で作られている陶器の原土。帆布染めに使われている染料。作家たちの手書きの言葉。まるで「作家のアトリエ」にいるように、ものが生まれるまでの背景を感じさせるものが作品と一緒に並んでいる。
鹿児島・坊津の土を掘るところから制作がスタートする〈ONE KILN〉の器(写真上)と原土(写真下)。
和歌山・熊野で栽培された〈どこでもそら〉の無農薬のお茶を茶葉と一緒に展示。
陶芸家の池田優子さん、安藤由香さんの言葉。
手書きの言葉は、それを書いた人の「伝えたい」という思いが、より切迫して感じられるのはなぜだろう。
パソコンでキーボードを「打つ」のではなく、ペンで紙に「書かれた」文字。時間をかけて書いたことが伝わってくる。小さな文字なのは、あまり主張しないようにしているからなのだろうか。わかりやすいように絵を描いてくれている人もいて、そんなところに小さな気遣いを感じたり。
スクリーン上の整然とした文字に慣れきっているからこそ、こうしたアナログな伝え方がより生々しく感じられるのかもしれない。
「買う」だけでなく「借りる」こともできる。
まるで、友人の家のように。
たとえばこのホウキ。
ホウキはnice things.でもよく紹介されているが、「現代の暮らしに合うのかなぁ」と思っていたから、実際に自分の生活で試せるのは読者にとっても嬉しいことだろう。
本棚には、取材をとおして出会ってきた全国各地の作り手や店主、料理家、パン屋、デザイナーなどの選書が置かれている。窓辺のベンチや階下のカフェで読んだり、借りていって家でじっくり読んでもいいのだそうだ。
編集者から一転、家長として一人でこの場所に立つことになった田中さん。今までは誌面を通してだったのが、ここで直接お客さんの顔を見て、会話しながら、物の背景を伝えていくことになった。
「人の手で魂を込めて作られたものって、物自体が生きているように感じられると思うんです。例えば美術館で作品を見ているときに、そこに作家はいないけれども、何かの気配を感じることがあります。民俗学者の折口信夫さんの著書の中で「もの」は「かみ(神)」「おに(鬼)」「たま(魂)」と並んで古代から日本の信仰の対象だったという話もありました。
人から気持ちをもらって、それをまた違う人に贈って、人は生きていると思う。ここで僕たちが物に込められた背景や気持ちを伝えることで、作った人の「気」を受け渡して、それが物を大切に使うことにつながって。一人ひとりのふるまいがまた違う人の豊かさにつながる。そういうふうに気持ちの循環や、社会の循環につながっていけばと思っています」
ところで、田中さんはこの時代にめずらしくスマホを持っていない。価値観やセンスは、育った環境から少しずつ形成されていくものだと思うけれど、彼が20代でこうした独自の物への視点を持っているのはなぜなんだろう。
「沖縄の久米島で、簡素な暮らしをしていました。65歳くらいの元校長先生のおじいちゃんの家の隣に住んでいたのですが、"畑の野菜を持っていっていいよ"って言ってくれて。だから朝6時に起きて散歩がてら畑のキャベツを採らせてもらって、土だけ流して鍋に入れて、それを朝ごはんにして食べるみたいな生活を1年ほどしていました。
アパートの部屋には、そのおじいちゃんから譲り受けた机と椅子ぐらいしかありませんでした。タンスの引き出しを並べて本棚にして。そういう簡素な暮らしをしていると、自然と少ない物でも、長く使える物を持ちたいと思うようになったんですよね」
窓からは、ときおり観光客をのせた水上バスが通っていくのが見える。この場所は駅からも近く、会社帰りにスーツ姿のお客さんがふらっと立ち寄って、ここからの景色を眺めていくことも多いのだという。
〈トモダチノ家〉という名前には「友達の家を訪れた時のように小さな発見があったり、情感の動くような場所にしたい」という思いが込められている。
「社会のなかで生きている以上、肩書きから逃れることはできないけれど、この場所は肩書きを離れた"個人"として訪れてもらえたら」と田中さんはいう。
〈飛松陶器〉のランプシェード。店内にあるほとんどの家具や照明は購入可能。
それにしても、
「伝える」ってなんだろう...?
この場所を訪れて、「伝える」ということは「伝えないことを選ぶ」ことなのかもしれない、と思う。なんでも伝えていたら伝え手としての信頼は薄れていってしまうから。
nice things.が「伝えないこと」は「流行」、そして「インフォメーション」。
誰でも情報を発信できる時代に、自分たちでなくても伝えられるインフォメーションは誌面に載せない。流行に乗り遅れることへの危機感を煽って、読ませることはしない。ただただ自分たちが共感する「人生」を伝えている。
ライフスタイル誌という形態は取っているけれど、nice things.が伝えてきたのは「どう生きるか」という大きなテーマだ。家やそこに置かれる物、そこで食べるものという目に見えるものだけでなく、もっと根っこの部分。取材で見えてきた、一人一人のざらりとした質感を伴う、生き方のサンプル。
これからこの棚を「作家とお客さんが手紙を交換できるポスト」にするのだそう。
最近、多すぎる情報に麻痺して、どんなニュースにも驚かなくなっている自分がいた。世界の情報が手のなかに集約されているのに、ものの数秒でスクロールして、次の瞬間には別のことを考えて...。スクリーン越しの世界は、いつも目の前にある厚い丈夫なガラスで、しっかりと分断されていた。
今の時代、たいていのものはインターネットを介して手に入る。だけど「この場所で、この人から買いたい。ここじゃなくても同じものは手に入るかもしれない。だけど同じ気持ちでこれを手にすることはもうないだろう」と思う時がある。私にとってそれが、この時だった。
日本にはこんなに思いを込めてものづくりをしている人がいて、それを伝えること、文化を残していくことを自分たちの使命として、この場所に立っている人がいる。その体験が、私にはとても「リアル」に感じられたのだ。
トモダチノ家
●所在地:
大阪府大阪市中央区北浜1丁目1-23 2F●営業時間
平日11:00~19:00
土・日・祝 11:00~18:00●定休日
水曜(祝日の場合、翌木曜)