ペルー料理について――ベンのトピックス
もしも2〜3年前にペルー料理の名前やうまいペルビアン・レストランの名前を挙げろと言われたら、きっと僕は「セビチェ……」としか言えなかったと思います。
しかし、いまや僕の地元であるロンドンやニューヨークの中心部ではペルビアン・レストランのない風景を見つけるほうが困難な状況です。そして、世界中のバーやクラブでは、ペルーの首都・リマでもっとも有名なカクテル「ピスコ・サワー」を当たり前のように飲むことができます。
なぜペルー料理なのか?そして、なぜ今なのか?
過去100年のペルーの歴史で特筆すべきは、政情が不安定な時期があったにも関わらず、見事に経済的成功をおさめてきたことです。鉱業、農業、漁業といった主要産業をうまく機能させ、政府は政治家ら権力者の不正に打ち勝ってきた。
なによりも、マチュ・ピチュ遺跡、広大な首都・リマ、貴重な植物や野生動物(ペルーには21,462種もの植物や動物が生息している!)など、観光資源も豊富な国です。
そして、近年のペルーには料理こそが新たな国家の誇りとみなしている人がたくさんいる。ムーブメントの最前線にいるのは、シェフのガストン・アクリオ(Gastón Acurio)だ。
現在50歳のガストンは、1992年に料理学校の名門「ル・コルドン・ブルー・パリ」を卒業し、1994年にペルーに帰国。妻のアストリッドとともに、リマでフレンチレストラン「アストリッド・イ・ガストン(Astrid y Gaston)」をオープン。地元ペルーの食材を取り入れることで評判となり、現在では世界12ヵ国50店舗以上のレストランを経営しています。彼はリマを世界の美食マップに載せるべく奮闘している、重要な人物なのです。
「僕たちがペルー料理でやろうとしていることは、フランス人が200年以上、イタリア人が100年以上、日本人が50年以上をかけて成し遂げたものだ。僕らはそれを、25年後には実現してみせるよ」
ガストンは国家の進歩のため、そして世界中にペルーの素晴らしさを知ってもらうためには、ペルー料理を広めることが重要だと考えているようです。
だから、彼の活動は高級レストランをオープンするだけにとどまりません。リマ郊外の貧しい地域のひとつであるパチャクテックに「パチャクテック料理芸術学院(the Pachacutec Institute of Culinary Arts)」を設立しています。
2012年11月にユネスコがペルー料理を無形文化遺産に指定したことと、ガストンの活躍は決して偶然じゃないでしょう。
そして、ガストンはペルー料理は日本料理の成功から学ぶところがあると信じています。
「日本人にとっての寿司という優れた料理は、私たちにとってのセビチェだからね」
セビチェは、新鮮な魚介類にタマネギとコリアンダーを加え、コショウで味付けし、レモンもしくはライムジュースで炒めたマリネのこと。力強い風味、鮮やかな色彩、良質な材料のコンビネーション。これこそペルー料理の魅力だと僕も思います!
さて、日本ではペルー料理はまだまだ認知度が低いかもしれません。行きつけがあるって人も少ないでしょう。
だから、この記事でペルー料理に、ガストンに興味を持ったという人には、まず2014年製作のドキュメンタリー映画をオススメします。
美しくて、美味しいペルー料理を知る、第一歩になるはずです。