僕がフレッドペリーを好きな理由――ベンのトピックス
フレッドペリーというブランドについて、多くの人が思い浮かべるのは、イギリスとテニスでしょう。
その通りです。
創設者のフレデリック・ジョン・ペリーは、イギリスの最も偉大なテニス(そして卓球も)の選手と言えます。彼は英国紳士のあるべき姿を体現しているような人物でした。そして、ペリーは当時のテニス界における男性のベスト・ドレッサーのひとりでもあったんです。
さて、ペリー自身は1995年に亡くなりましたが、ブランドは健在です。ただし、本国ではテニスとの関連は年々薄れ、フットボールとの関係を強めています。その背景にあるのは、イギリスの階級闘争であり、フレッドペリーというブランドのアティテュードです。
僕はこの話が大好きで、フレッドペリーのポロシャツが大好きです。
名品、M12に関する逸話
フレッドペリーの数ある製品のなかでも人気なのが「M12」です。
ブランドオリジナルの襟に2本のラインが特徴。フレッドペリーのポロシャツといえばみんなが思い浮かべるのはこれでしょう。
このM12が発売されたのは1957年のこと。
当時、テニスと密接だったブランドですが、このM12がウィンブルドンで着用されることはありませんでした。理由は、ウェアは白一色という厳しいルールが存在するから。
では、なぜテニスブランドだったフレッドペリーが、襟にラインを入れたポロシャツを発売したのでしょう?
イギリスでよく聞くエピソードはこうです。
有名なスポーツ用品店であるリリーホワイツのスタッフが、フレッドペリーへ「ウェストハム・ユナイテッドFCの色を使ったポロシャツはきっと人気が出る」とアドバイスしました。その結果、かの有名なホワイト/アイス/マルーンの配色(これはウェストハム・ユナイテッドFCのカラーパレットです!)のポロシャツが生まれたというのです。
テニスは上流階級、フットボールは労働者階級
ここで知っておきたいのは、イギリスにおけるスポーツのイメージの話です。
テニスは上流階級のもの、そしてフットボールは労働者階級のもの。なかでも、ウェストハムはイーストロンドンの貧しい地域の労働者たちを中心に設立されたクラブです。ファンは労働者階級ということに誇りを持っています。
つまり、フレッドペリーはおそらく物議を呼ぶ決断をもって、ウェストハムと歩んでいくという選択をしたのです。
これは昔話ではありません。
今でもイギリスには階級闘争が存在するし(僕自身も感じたことがあります)、それは人種差別に発展することもあります。そんな社会のなかで、フレッドペリーはテニスという上流階級から生まれ、労働者階級のカルチャーと融合しようと多大な努力を払ってきたブランドなのです。
実際、現在もフレッドペリーというブランドはレトロなスポーツウェアというポジションにとどまることなく、英国ストリートファッションの一端を担っています。
展示会は“大衆食堂”で
2018年9月23日から10月6日。フレッドペリーはこれまでになかったような場所で展示会を行いました。
場所は、かつてウェストハム・ユナイテッドFCが使っていたサッカー場から数100メートルのところにあるケンズ・カフェ。このお店は、ウェストハムのファンが試合の道すがら安い紅茶やイギリス式の朝食をオーダーする“大衆食堂”です。店の中はハマーズ(チームの愛称)のパンフレットなどでいっぱいです。
フレッドペリーは、このケンズ・カフェをアイコニックなポロシャツの色を使って飾り立て、ブランドのポスターやマグカップを持ち込んで、ブランドをアピールしました。
僕はそれをとてもユニークで素敵だと思いましたね。