史上最年少のクリケット日本代表「高橋和雅」インタビュー

スポーツ観戦をひとつの編集テーマとしている自分にとって、サッカー、野球はすでに日常だ。気になるのは“NEXT”。東京五輪を機にエクストリームスポーツは観戦スポーツの新ジャンルになりそうだし、ラグビーに至ってはエンタメとしての可能性をすでに世に示している。

そんな中で、目に留まったニュースがある。

「クリケットU19日本代表、ワールドカップ初出場決定」

ワールドカップの出場権獲得は上の世代も含めて日本初の快挙らしい。現時点で「次にくる!」とは自信を持って言えないが、強化は着々と進んでいるのだろう。

歴史の扉をこじ開けたそのチームの中心にいるのが高橋和雅だ。

©2019 NEW STANDARD

この19歳以下日本代表のエースは、史上最年少となる13歳にしてフル代表候補に選出された経歴を持つホープ。昨年の東アジアカップにおける15歳でのフル代表デビューも史上最年少だ。若さに似合わないプレークオリティの高さは、他の代表選手たちも唸るほどだという。

現在は地元の佐野東高校(栃木)に通う1年生。今の時代にサッカーでも野球でもなく、なぜクリケットなのか——。インタビューを始めると、あどけない表情が引き締まった。

「佐野に生まれなかったら、きっとクリケットのことなんて知らなかった」

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──クリケットとの出会いって?

 

生まれも育ちも佐野市なんですが、この街はすごくクリケットに力を入れているんです。小学校のときに普及プロジェクトの一貫で体験授業があって……。

 

──小学校の授業でクリケット!?

 

驚きますよね(笑)。協会の方が来て教えてくれるんです。

 

──どこに興味を持った?

 

他のスポーツとルールが全然違うところです。野球と違って360度どこに打ってもいいし、グローブはなく素手。試合時間もすごく長いし(笑)。とにかく不思議で、こんなスポーツがあるんだって興味を掻き立てられました。

 

──野球やサッカーは考えなかった?

 

サッカー教室に行ったことはありますが、そんな真剣にはやれなかったです。もともと運動が得意じゃなかったし、教室の端っこで本を読んでるタイプだったので。

 

──スポーツとか、カラダを動かすこと自体にあまり興味がなかった?

 

競り合いというか勝負事があまり好きじゃなかった。すぐ弱気になって負けちゃって。あの頃はガツガツしたタイプじゃなかったですから。

サッカーって“勝負”って感じじゃないですか?でも、クリケットは純粋に楽しめました。もちろんやっていくうちにどんどん勝負感は出てきましたが。

 

──クラブに入ったのはいつ?

 

小学4年のときですね。仲の良い友人の誘いで。

 

──すぐにのめり込んだ?

 

クリケット自体が楽しかったのもありますが、一番は友だちの影響ですかね。家も近くて、いつも一緒に遊んでいた友だちがいたから楽しく続けられた。それが一番。

友達がやってなければ、たぶん僕もやってない。佐野市が力を入れて、クリケットを広めようとしてくれたおかげだと思います。

 

──佐野に生まれたのが運命ですね。

 

本当にそうですよ。佐野じゃなかったらクリケットのことなんて知らなかったかもしれない。いい環境、いい人に出会えてよかったなって。

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──純粋に楽しんでいたクリケットで“勝負”を意識するようになったのは?

 

小学6年のころです。僕より後に始めた同い年の選手が、ある試合で優秀選手賞をもらったんですよ。それがもう本当に悔しくて。彼とは学校でもいろいろ競っていて、そういうライバルがいたから“絶対に勝ってやろう”っていう気持ちが強くなり、もっとうまくなりたいと思うようになりました。

 

──後から始めた選手に追い越された。

 

それを機に勝負の気持ちが芽生えてきた感じはします。僕に大きな影響を与えてくれました。

 

──小学校はジュニアクラブで過ごし、中学生は?

 

大人に混じって、ほぼ毎日練習でした。もちろんレベルの差を感じたんですが、自分に足りないものがわかったし、年上の人たちのいいところを吸収できました。中学生の伸び盛りの時期にいい影響を受けて、すごく上手になったと思います。

 

──って言っても、中学生って去年のことですよね(笑)。すごく前の話を聞いている感覚。

 

はい(笑)。中学生のころは、とにかく練習時間が多かった。

 

──そして、13歳で史上最年少の日本代表強化選手になった。中学2年で日本代表候補ってどんな気持ちなんですか?まったく想像できなくて。

 

驚いたし、嬉しかったのが素直な気持ちです。でも、選ばれて満足するんじゃなく、ここから頑張らなきゃっていう気持ちのほうが強かった。

実力は絶対に自分が一番下。代表選手から技術とか知識を吸収して、とにかく一生懸命、がむしゃらに練習して、もっといい選手にならなきゃっていう気持ちでいっぱいでした。

 

──ご両親もかなり驚いていたのでは?

 

はい。でも、「ここからだよ」って言われました。あと、これはずっと言われ続けていることなんですけど、「クリケットを勉強ができない理由にしちゃダメ」ってことも。実際に勉強もちゃんと頑張ってますし、うまく両立できているかなとは思います。

 

──何も言わせないってことですね。にしても、小学4年で始めて5年で日本代表候補って、とんでもない成長速度だと思うんですが。

 

繰り返しになりますが、練習量は相当でした。でも、それは佐野市という環境に恵まれているおかげ。家から練習場も近いですし、一緒に練習をしてもらえる選手もたくさん。他の選手たちに影響されて、一気に上達できたと思います。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。