音の旅人「REO MATSUMOTO」をチェックしてくれ!

TABI LABOでコラムを書くようになってから、来月で1年。

今までは俺自身の過去の経験から、日々日常で見つけたポジティブなカケラをエピソードとして紹介してきたが、今回は俺の仲間のエピソードも紹介したい。

というのも、俺の周囲にもいつもポジティブに人生に挑んでいる面白い仲間が沢山いて、彼らの姿勢や行動力に背中をおされ、閃きをもらっているんだ。

例えば、トラックメイカー×ビートボクサー×ハンドパン奏者として多彩な活躍みせるREO MATSUMOTO。俺は彼のことを“音の旅人”だと思っている。

11年ぶりに話したら、REOのこれまでがおもしろすぎて3時間も電話してしまった……。

REOとの出会いは11年前、横須賀のクラブイベントだった。

当時、24歳だった俺と18か19歳だった若きREOは、同じステージでジャムセッションをした。当時の彼はギラギラ燃えていて血走るほどの勢いで高速のビートボックスでかます男だった。

イベント終了後、彼を話をした。REOはその若さですでにバトルに入賞し、ビートボックスの講師をやっているいう。「もっと刺激がほしい!俺は海外に勝負しに行きます!」と力強い言葉を放っていたのをよく覚えている。それから久しく会うことはなかったが、その時の鮮烈な印象があってSNSなどで活動はチェックしていた。

そして、先日。久しぶりにFacebookを開くとREOの投稿があった。ハンドパン奏者として、業界で最も権威のあるメーカー「Yishama Pantam(イシャマ・パンタム)」の公式サポートアーティストに選ばれたそうだ。そのニュースも天晴だが、俺が驚いたのは、動画でみた彼の演奏だ。唯一無二のサウンドに鳥肌がたった。

ハンドパンがどんな楽器が知らないという人も、これを見ればきっと俺と同じように感動するはずだ。

SNSで活動を追ってはいたが、出会った頃のギランギラン血走るようなエネルギーが溢れていた姿とは違う、おおらかな表情とキラキラした姿を見て、そうか、もう11年も経ったのか、と思った。

それから数週間後、またFacebookでREOの投稿を見た。そこにはまた別のREOの姿があった。今度は、Lofi HipHopのトラックメイカー「re os」だ。

そのサウンドを聴いて、俺は思わず「おぉおおおうううううぅぅぅ!」と唸った。カッコイイ!

投稿には、Lofi HipHopのトラックメイカーとして活動を開始したことと「誰か興味あったらコラボしようぜ!」と書いてあった。

俺はすぐに「やろうよ!」と書き込んだ。

それからメッセージをやり取りして、REOと電話で話した。

出会った頃はビートボクサーで、ハンドパン奏者として世界で認められて、さらにカッコイイHipHop Beatまで作ってるREO。俺は彼がこれまでどんな活動をしてきたのか聞いた。

そしたら3時間も電話してしまった……。

所持金3000円で日本を飛び出し、8年に及ぶ海外音楽修業。

REOの素晴らしいところは、その徹底的な行動力だ。

ビートボックスを初めてから2年ほどで、海外に刺激を求めるまでに「やりまくった!」と言えるほどだったそうだ。実際、その頃は年間150本以上ライブをしていたとか。2日に1本のペースでのステージをやるハードさは、年間100本以上のライブを8年以上やりつづけた俺には分かる。

そして、REOはより刺激を求め海外で路上演奏の音楽修行をすることを決意する。行き先は、ストリーミュージシャンのメッカ(と噂で聞いたらしい)、オーストラリアのメルボルンだった。

現地の空港へついた時の所持金3000円。初日のホテル代を払っての残金1000円から彼の8年に及ぶ海外音楽生活はスタートした。最初は英語も話せず、ご飯を食べるお金もないので、レストラン客の食べ残しをもらったり、ホームレスの炊き出しに参加したりして飢えを凌ぎ、ひたすらバスキング(路上ライブ)に明け暮れた。

それから少しずつバスキングで稼ぐコツをつかみ、3ヶ月が経つ頃には次の目的地であるインドへのチケット代30万円を稼ぎ出し、一路インドへ。変則的なリズムや独特の音階を持つインド音楽から、新たなリズムを学ぶため2ヶ月間現地のタブラ奏者にくっついて音楽修行。インドでは、後に活動を共にするKoji Matsumotoとの出会いもあった。そして、次はNYへとREOの旅は続いた。

NYで逮捕され、留置場でラッパーとコラボ。

NYの地下鉄では沢山のストリートミュージシャンに出会える。それはまさにNYらしい光景で、多くの人が足を止め卓越した演奏に聴き入り、踊り出す姿まで見られる。

REOはユニオンスクエア駅やタイムズスクエアで、ビートボックスの路上ライブでかなり稼げた。この頃にはいっぱしのバスカー(路上演奏、バスキングをする者)になっていた。REOが演奏すると、多くの人だかりができた。しかし、そこは路上演奏が禁止されいる区域だったため、知らずに演奏していたところを警察に逮捕されてしまう。

沢山のゴロツキが集まる留置場の中。隣にいた男が話しかけてきたので、自己紹介がてらにビートボックスを披露すると、男はラッパーで檻の中でセッションが始まった。その時、警官は……なんとiPhoneで録画していたそうだ。

捕まっても留置場でロックしてしまうバイブス!なんてNYらしい。

このエピソードを聞いて俺は笑ってしまった。

ヨーロッパではフェスに参戦。ただし、飛び込みで。

NYからメルボルンに戻ったREOは、またバスキングでお金を稼ぎヨーロッパへ向かった。

この頃から、インドで出会ったKoji Matsumotoと「松本族 Matsumoto Zoku」としての活動を始め、ハンドパンとビートボックスを融合させた独自のサウンドを産み出していく。

ヨーロッパでの初ライブはフェスのステージ。なんと飛び込み参加だった。

「ってか、フェスって飛び込み出来るの?」「はい!できましたっ!」なんでもないことのように話すREOの屈託の無さには関心する。

REOのフェス出演のやり方はこうだ。まず出たいフェスに普通に遊びにいく。もちろん演奏に必要な楽器類を持参して。現地についたら関係者に片っ端から話しかけ、主催者を探す。主催者までたどり着いたら、目の前でビートボックスをかまして「どんな場所でもいい、どんなに短くてもいいから演奏させてくれ!」と直談判……実際に、それで主催者がおもしろいね!となって、ステージで演奏させてくれたそうだ。ステージは大盛り上がりで、そのまま翌年のオファーまでもらったという。

シンプルなやり方だけど、相当な自信と行動力がないとできない。すげえ!

さらに、そこからのコネクションをいかして、その他のフェスやイベントを紹介してもらったREOは、最終的にヨーロッパでツアーを組めるまでになった。

この動画はそのなかで、サイケデリック系フェスでは世界で3本の指に入るOZORA FESTIVALに出た時のもの。

 

なお、この出演もWEBからメッセージと演奏動画を送ったことで、勝ち取ったそうだ。

またもや「飛び込み」で (笑)!今回は飛び込みと言っても、WEB SITEから直接熱いメッセージと演奏動画を送ったところ出演オファーとなったらしい。

俺とREOは今一緒に楽曲制作をしている。

REOには、勢いだけではなく、日々の鍛錬で得た感度による作品やビジュアルのクオリティがある。飛び込み出演だって、実力があるからこそ成功する。それは前提だけど、俺がすごいと思うのはやっぱりREOの行動力だ。

今、REOは前述の通り、Lofi HipHopのトラックメイカー「re os」としての活動を精力的行っているわけだが、俺は彼が長い音楽の旅を経て今ヒップホップをやっていることにとても共感できた。

俺たち出会った11年前、横須賀のクラブで流れていたのはヒップホップだった。あれから、お互い全然違う道を歩んできた。REOが世界を旅している間、俺もたくさんの出会いがあって、家族ができて、NYに移住して、それで今もラップをやってる。誰になんと言われようと、俺は自分のやっていることはヒップホップだと思ってる。

俺とREOはヒップホップを通して出会って、ヒップホップを通して再会した。

そして、俺とREOは今一緒に楽曲制作をしている。彼との素敵な再会を記念して、まだまだ続くそれぞれの旅路にマイルストーンを残せたらいいなと思ってる。

もちろん、曲ができたら、このコラムでもシェアしたいと思うので、ぜひ楽しみに待っていてほしい。

たくさん話を聞かせてくれたREO MATSUMOTOとこの長い記事を読んでくれた読者の皆さんへ、ありがとう。

今日も素敵な1日を!
Have a nice time!!

DAG FORCE/ラッパー

1985年生まれ。NYブルックリン在住のラッパー。一児の父。飛騨高山出身。趣味は、音楽、旅、食べること、森林浴。NYでの日常生活で感じたこと。そこからポジティブなメッセージを伝えていきたい。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。