俺の奥さんは「りんごは白い」って答えた
「りんごの色って何色だと思う?」
いつもの公園で、ブランコを押しながら、向こうに行ったり、こっちに来たり振り子のように揺れ続ける息子と奥さんと話してた。
あなただったらなんて答えるだろう。
「赤」と言う人が多いと思う。
たしかにりんごは赤い。けど、それだけじゃないな。みどりのりんご、腐った茶色いりんご、黄色いりんご……答えはきっと無限にある。
俺の奥さんはりんごは白だと言った。理由は「皮をむいたら白いから」って。たしかに!
そもそも色だって、厳密に言えば、人によって見えてるものの色がそれぞれ違うはず。人の数だけ感覚器官にだって個性があるはず。赤と呼んでいる色は、人によっては微妙に違うはず。
だけど、いつしか人は教育を受けるなかで、また他者との関わりのなかで、独自の感覚を記号や共通言語に置き換えるようになる。そうじゃないと、話が通じないわけで、周囲に合わせて自分の感覚を補正していく。そのうち無意識に、自分の赤を失っていく。本当は、数え切れないほどの赤があるのに。
この世界にはいろんな人がいて、その数だけ意見がある。人の数だけ異なる感性や感覚があって感情がある。常識なんて本当はない。人は違って当たり前。俺は誰でもなく、俺でしかない。他人と比べることに意味はない。成長したいなら、過去の自分と比べたり、目標に向かっていくしかない。
俺は、NYで暮らすようになって、そんなことをよく考えるようになった。
だけど、たまに東京に戻ってくるとなぜだろう。
俺も少しばかり周りの目を気にしてしまう。NYで普通に履いてるお気に入りのボロけたスニーカーやデニムが場違いな気がしてくる。メディアが押し出す流行や、スタイルを意識することが大事なような気がしてくる。
街行く人の態度からは「どうして俺の気持ちをわかってくれないんだ!」といった本音が見え隠れするし、それにストレスも感じる。常識を重んじろよ!と、心の中でなじる声がする。
あれれ?
メディアの報道や広告に煽られ、自分では無い者の価値観や態度や行動に気を取られ、無駄なストレスを抱えてる人々の波に飲み込まれそうだ。
あーれーー?
りんごの色がみるみる真っ赤に染まってく!
赤にしか見えなくなってく!
だけど、目の前のモノや情報を貪り食うだけじゃ、満足感は得られない。
俺は自分の色を信じる。
この目で見えるもの、聞こえる音、感じるもの。それが大切だと思う。どんな時代になろうとも、大切なことは変わらない。それは俺たちが今を生きているからだ。俺はこのビッグアップルで今を生きる。
だけど、俺はリンゴアレルギーだ。
1985年生まれ。NYブルックリン在住のラッパー。一児の父。飛騨高山出身。趣味は、音楽、旅、食べること、森林浴。NYでの日常生活で感じたこと。そこからポジティブなメッセージを伝えていきたい。