生き方はいろいろ。俺は俺――DAG FORCEのナイスタイム
隣の芝生は青いとは、よく言ったものだ。
先日、幼稚園に通う息子のパパ友とお酒を飲みながら人生について話したことがあった。
息子の通う幼稚園は、シュタイナー教育を実践する小さな小さなプライベートスクール。月に10万円以上の学費がかかるわけだが、そのパパ友となれば、まぁ経済的に余裕があるオトナである。
彼は、有名アウターウェアブランドの専属デザイナーをしていて、年収は数千万円。車はポルシェのカイエン。身なりも、趣味の料理に使う包丁も、持ち寄ったブランデーも一級品。持ち物や身なりでその人を伺い知ろうというのは、あまりにも雑で浅はかだとは思いつつも、やっぱり最初はそういうところで察してしまう。
将来への不安などはないんだろうと勝手に思っていた。だけど、話していくと、その人なりにいろんな悩みや不安があるもんだ。
――ところで、息子がプライベートスクールに通っていると言っても、俺自身はNYでは決して豊かなほうではない。というか、正直底辺に近い経済力だと思ってる。それでも日本円に換算してみれば、同年代のサラリーマンよりは稼いでいるのかもしれないし、日本の平均年収よりは上をいってるかもしれない。あんまり興味もないから平均年収がいくらも覚えてないんだけど……。
そもそも、NYは貧富の差が激しすぎてて、日本と違って「平均」というものがほとんど意味をなさない。いま俺は社会のなかでどんな「位置」にいるかというのは、ぶっちゃけわからない。
上は世界の大富豪のトップ何人かが普通に暮らしているし、底辺をみれば無収入で仕事もなく貧困から抜け出せず酒やドラッグの世界から出られない人々もすぐ近くにたくさんいる。
「うちは普通だよ」と言いながら、世界中にバケーションに行って、何億もする豪邸に住んでいる友人もいる。それは、その人にとって普通なのだ。
あまりにたくさんの価値観が混在するから、平均とか普通とか、意味をなさない。求める生活の質やリズムとか、家族構成とかで全然違うし、生まれや出自のスタートラインも違うわけで、本当に他人と自分を比較することには意味がないと思う。
逆に言えば、どんな状況で、どんな環境にいても、人は不安を感じる。
また逆を言えば、どんな状況で、どんな環境にいても、人は幸福を感じる。
前述の同級生の親だって、俺からみれば明らかに余裕がある。ように見える。実際に俺よりはあるんだろう。年齢も15歳近く上だし、経験も豊富、知性も感じられて、とても洗練されている。
それでも、不安はあるし、そして幸福もある。
俺は、彼の安定や経験があったら、と思ってみたりもした。
彼は、おれの若さや勢いがあれば、と思ってみたりしたかもしれない。
人間誰もがそんなものだ。千差万別の生き方があり、誰の代わりにもなれない。人生一度きり、皆、我が道を行くのだ。
ただ、時にこうして他人の考えや生き方をうかがい知ることは、とてもいいと思った。そういう時に飲むお酒の味は、身体に、記憶に残る。
だって、出身も、年齢も、状況や環境も違うなかで、お互いの気持ちを話したり、自分の弱さや不安や恐れを打ち明けられるってのは、素直さ、誠実があるからだし、それは素敵なことだろうと思うんだ。
年齢的に大人になって、親になって、他人と密に過ごせる時間というのは、30代までの自分に比べて明らかに短くなった。だけど、やはりいろいろな人や場面から刺激や学びを得たい。だから、相手が誠実に接してくれることが嬉しいし、自分もそうありたいと常々思う。
不可解で理不尽なことがまかり通り、やるせない気持ちを抱える毎日の中で、自分に嘘をついたり、本当の気持ちから目を背けたりする時ってないだろうか?そういうことに気づかないで、ただ過ぎていく時間に身を任せるような自分になってしまうことに、俺は恐怖を感じる。
皆、視点も、信条も、状況も、生き方も、千差万別。
だけど、俺は俺。そして、お前はお前。
ありのままを認め、今に感謝をすること、を、リスペクトだと思ってる。
それは、ヒップホップが俺に教えてくれたこと。
1985年生まれ。NYブルックリン在住のラッパー。一児の父。飛騨高山出身身長178cm。趣味は、音楽、旅、食べること、森林浴。 NY音楽生活の中で気付いた日々是ポジティブなメッセージを伝えていきたい。