日本の歴史から「抹消」された29日間

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

太陽暦採用記念日

昨日、11月8日は二十四節気「立冬」。暦の上では、冬の始まりの日です。

さて、「暦の上」ってのは旧暦のことを指すわけですが、この旧暦とは当然ながら今の暦の前に使われていたもので、日本でいうと太陰太陽暦のこと。太陽の動きを参考に月の満ち欠けによって日数を数える暦法です。

古代オリエントや中国でも用いられてきたハイブリッドな暦法を準用するかたちで日本も太陰太陽暦を使用。その後に日本独自の暦法(貞享暦→天保暦)を使っていた時期もありましがた、明治5年(1872年)11月9日、明治政府はそれまで使用していた天保暦を廃止し、新暦となる太陽暦(グレゴリオ暦)を採用することを太政官布告第337号で布告しました。

ちなみに現在、世界の多くの国と地域で採用されているグレゴリオ暦は、太陽暦の一種。地球が太陽の周りを回る周期をベースにしたもの。ただ、太陽の周期は1年で約365.242 189 44日。というわけで端数のズレを補正する閏(うるう)年が設けられているわけです。

 

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さて、ここまでは教科書のお話でして。

この新暦採用において、かなりゴーインにことが進んでいたことをご存知でしょうか? というのも採用されたのは11月の途中。つまり、明治5年はまだ終わってはいなかった……。

で、どうしたか。実際には、明治5年12月3日を明治6年1月1日とする布告を発表し、これを施行。改暦の布告から施行まで、わずか1ヶ月足らず。それも2日間だけ12月があったあとのいきなり新年突入ですよ。「良いお年を〜」とか言ってる場合じゃないっす。即、お正月。さぞかし混乱したことでしょうね。

急改変の背景には、諸外国からのプレッシャーのほか明治政府の懐事情も関係していたようで。

実際、2日間しかなかった12月のお給料は「支払いの必要なし」のお達しがあったそうで、役人たちは給料を受け取ることなく年を越したんだそう。しかも、当時の閏年は13ヶ月あり、ちょうど明治5年がそれにあたることから、結局は2ヶ月分が未払い状態。さすがにこれには庶民からも不満の声が上がったでしょうね。

財政難に苦しんでいた、明治政府による苦肉の策。それが新暦採用という“飛び道具”だったのかもしれません。

それにつけても、歴史から抹消された明治5年の残り29日間。どこいっちゃったんだろ? そうそう、太陽暦がスタートした明治6年以降、カレンダーが大流行したっていうのも頷けますよね。

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