「地球は青かった」は、いったい誰の言葉なのか?
何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。
それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。
アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?
ユーリイ・ガガーリンの誕生日
1961年4月12日、世界初人類史上初の有人宇宙飛行は、わずか108分の出来事でした。けれど、そのたった6480秒は人類の歴史を変え、そして世界を変えました。
ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン。今日3月9日は、ガガーリンの生まれた日。
もともとパイロットであったガガーリンは、宇宙開発競争が激化する1960年、3000名近い候補生から選ばれた宇宙飛行士候補生としてモスクワ近郊のソビエト連邦基地へ配属されます。
宇宙飛行が人間にどのような影響を与えるか。まだ未知数だったこの時代、訓練は現在よりもはるかに過酷だったに違いありません。
次第に絞られる候補生のなか、最後の2名まで残ったガガーリンに人類初のミッションが告げられたのは、宇宙船「ボストーク」が発射されるわずか4日前のことだったそうです。
そして……前人未到、文字通り命懸けのミッションは成功。ガガーリンを乗せた宇宙船は地球周回軌道に入り、大気圏外を108分かけて周ったのち、地上に戻ってきました。
帰還後、世界はガガーリンを熱狂的に受け入れました。人類初の宇宙飛行して、それ以上にソ連の科学技術を世界に知らしめるパブリシティの象徴として、ガガーリンは世界各地を飛び回りました。
あの宇宙にもう一度、飛び出したい。
次第に心のなかで大きくなっていったガガーリン。けれど、夢が二度叶うことはありませんでした。1968年3月27日、MiG-15戦闘機の訓練飛行中に墜落。34歳の若さでこの世を去りました。
ところで、地球帰還後にガガーリンが語った言葉として有名なフレーズに「地球は青かった」というものがあります。この誰もが知る名文句、じつは本人が語ったことはないという事実を知ってました?
「空はとっても暗かった。いっぽう、地球は青みがかっていた」
どこでどのように変わったのか? 帰還後ソ連の日刊紙「イズベスチヤ」が報じたガガーリンのコメント記事をベースに日本の各新聞がこれを伝える際、「地球は青かった」のコピーで報じたものがのちにひとり歩きした。ということらしいのです。
宇宙空間から見る地球の姿をこれ以上ないほどにシンボリックに表現した「地球は青かった」が、よもや本人の言葉じゃないなんて……。ちなみに、世界では「神はいなかった」の方が彼の言葉として有名なんだとか。