「民藝」を海外に広めた青い目の陶芸家

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

バーナード・リーチ生誕136年

2016年に発行された、原田ハマさんの著書『リーチ先生』をご存知でしょうか?

日本の“美”を愛したイギリス人陶芸家バーナード・リーチの半生に架空の登場人物との交流を通して描いた、史実をもとにしたアート・フィクションです。

名前だけは……聞いたことがあるんじゃないでしょうか。日本と西洋をつなぎ「民藝運動」の主唱者であった柳宗悦、濱田庄司らとともに日本の民藝におけるさまざまな橋渡し役となり、目黒区駒場にある「日本民藝館」の設立に尽力した人物です。

そのリーチが今日の主人公。

1887年1月5日、イギリスの植民地だった香港に生まれた彼は、3歳まで日本で過ごします。10歳になり母国イギリスへと戻り美術学校で小泉八雲やジェームズ・マクニール・ホイッスラーなどの影響を受けます。留学中の高村光太郎と知り合ったことをきっかけに日本への関心を抱き、22歳のとき、ふたたび来日。

そこで運命的な人物との出会いを果たします。その後のリーチの創作活動や思索に大きな影響をもたらす柳宗悦。リーチは柳たちが唱える民藝運動に深く関わり、楽焼(らくやき)に魅せられ六世尾形乾山に入門。のちに柳邸内に窯を築いて、陶芸家としての活動をスタートさせました。

その後1920年に濱田庄司とともにイギリスへと帰国したリーチは、セント・アイヴスに移り住み日本様式の登り窯「リーチ・ポタリー」を開きます。イギリス現代陶芸の礎を築き、同時に民藝運動の思想を海外へと普及させる伝道師として、大きな役割を果たしたリーチ。

名もなき職人の手によって生み出された日常の生活道具、民衆的工芸(民藝)のなかに宿る美術的価値。「美は生活の中にある」という宗悦の概念は、インダストリアルデザインとは異なる価値観として、リーチによって広く西洋に浸透することとなりました。

民藝を通じて日本と西洋の架け橋となったバーナード・リーチ。「日本民藝館」で作品に触れてみてはいかがでしょうか。

Top image: © Viktor Gladkov/Shutterstock.com
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