愛のメディアとしてのヴィンテージ
客観的に私のことを見れば、“古癖野郎”と言われても仕方がない気がする。
よくいるヴィンテージ好き、いつの時代にもいたであろう物好きの類である。
しかし、ただ珍しいからとかコスパがいいとか、そういうことではない。
私が大切にしたいのは人がものごとに対して抱く、「愛情」の意味である。
自らがいかにしてものごとに愛を寄せるかどうかは文脈の解釈に依存する。
では、文脈がもたらす愛着とはなんだろうか。
私が大切にしているものの一つである腕時計は、曽祖父が購入したものだ。
もともとは曽祖父の娘であり、私にとっては祖母に相当する人物の夫、すなわち我が祖父に与えられたものだった。
祖父が数年前に他界したのち、私の手元に来たこの腕時計は、話したこともない血縁のみで繋がる曽祖父と、それを大切に使い続けた祖父の想いを考えさせるメディアである。
何を身に着け、何を想い、どう生きるか──。
我々はそれぞれが異なる文脈を編みながらものごとを認知し、意味や価値を見出しながら自らの世界を構築していく。
つまり、文脈がもたらす愛着とは、他者と自身の唯一無二な関係を認知できたときの感情ではないだろうか。
これは、時代の変遷に左右されない人間らしい営みに思える。
持続可能性に訴えて強制するリユースより、それを使い続けることになんらかの意味やロマンといった価値を見出す、という行為の方がよっぽど人間らしいはずだ。
そんなことを考えながら、時を超えて愛を媒介するメディアとしてのヴィンテージを楽しめたらいい。
「おやつなトピック」って?
Z世代のインターンから、この道うん十年のベテラン編集者まで、TABI LABO“ナカの人”がリレー形式で担当するコラムです。
「おやつなトピック」
甘いものに手を伸ばす代わりに
小腹を満たすコラムはいかが?
Top image: © SHUHEI KOBAYASHI, 2022 NEW STANDARD