そのアスパラガスは、「宇宙」を託されている

渋谷区桜丘の一角に2023年3月にオープンした「テンキ」。フレンチの技法を取り入れた新感覚の天ぷらを厳選した白ワインとともに味わえる店だ。

数あるグランドメニューの一角を担うのが「アスパラガス」。もちろん、衣をまといからりと揚げただけのそれではない。

「テンキ」で出会った
アスパラガスの正体

©2023 NEW STANDARD

手巻き寿司よろしくアスパラガスの天ぷらを特製ソース、香味野菜とともに海苔で巻いていただくという風変わりなスタイル。これが、じつにうまい。

甘さが強調されたアスパラガスのみずみずしさを感じたかと思えば、磯の香りが追いかけてくる。複雑に絡みあう味には統一感があり、ついもう1本とあとを引くクセになる味わい、とでも表現しようか。

そしてもうひとつ、茎の太い根元の部分を食べてもまったくあの“筋っぽさ”を感じないのだから不思議だ。訪れる際は、人気の「海老」とともにぜひ味わってほしい。

「テンキ」の詳細は、またのちほど。

 

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さて、ここで紹介したいのがくだんのアスパラガス。

じつはこの子、表題にもあるように宇宙を託された野菜なのである。決して誇張して言っているわけではない。以下、「月面アスパラガス」の使命を紹介していこう。

ゴールは、「月面で栽培する」にあり。

©2023 NEW STANDARD

神奈川県川崎市に「月面アスパラガス」の農園はある。取材に訪れた5月下旬はアスパラガスの旬でいえば名残。つまりは最終盤にあたる。だが、朝夕の気温がそれでもまだ低いこの時期は、ゆっくりと生長し色も味も濃くおいしいらしい。

指の先まで日焼けした手でいとおしそうにアスパラガスを摘みながら、“月面”というネーミングの由来を教えてくれたのは、「株式会社天地人」の農業研究員・岡田和樹さん。

JAXA認定の宇宙ベンチャー天地人では、現在、衛星データを活用した土地評価のノウハウを農業に応用することで、世界各国が取り組む「宇宙での作物栽培」を目指している。水も空気もない過酷な環境下(月面)で、おいしいアスパラガスを本気で栽培しようと試みているわけだ。

なぜ、アスパラガスなのか?

アスパラガスという野菜は、一般的に植えたら10年、20年と同じ株で育てるそうだ。ただ、歳を重ねるにつれ株自体が疲れきってしまい、栄養が行き届かなくなり最後は極端に細かったり、色味や味わいの薄いものしか採れなくなるという。

だったら、毎年新しい株を植えればいい。素人考えならこう思うだろう。が、事はそう簡単でないことを岡田さんが説明する。

 

岡田:「連作障害」といって同じ野菜を次また植えると病気になりやすかったり、植物がもつ化学物質(アレロパシー物質)が影響し、なかなかうまく育たないものなんです。アスパラガスはとくにそれが強く、農家さんも植え替えのリスクを負うより株を使い続けて、採れなくなったら栽培自体を辞めてしまう。それが生産現場の現状です。

 

それだけではない。少なくとも1回の栽培に一年ほどかかるアスパラは、高さ2メートル、幅1メートルほどにまで生長し、根も深く伸びるうえ他の野菜と比較しても吸水量が多く、とにかく手間がかかるようだ。

では、野菜の中でも難しいとされるアスパラガスをなぜ、あえて選んだのだろう?

 

岡田:たしかに栽培は難しい。でも環境への適応性は高いんですよ。世界各地で栽培されているのもこの適応力があるため。砂漠でも栽培をしています。寒さや乾燥にも耐えうるし、意外とタフな野菜なんです。そういった特性から、月面での栽培を目指す野菜として候補に挙がりました。

 

さらにもうひとつ、月面を目指すうえで欠かせない特性「受粉が不要」であるという点も大きい。基本的に果菜類は受粉が必要となる。その媒介者はハチをはじめとする昆虫類か、あるいは人間の手によって植物ホルモンをかけ、花粉に頼らずに果実を実らせる手段。それらを不要とするアスパラガスは栽培の観点からいえば、月面での栽培に適している。ということになる。

月面アスパラガス、遥かなる旅路

©株式会社天地人

ところで、地球からはるか遠い環境での有人宇宙活動が、近い将来、現実のものとなろうとしている。そのファーストステップとして、すでにNASAは月面探査プログラム「アルテミス計画」によって2025年以降に人類を物資とともに月面へと送り、拠点を設け、月での持続的な活動を目指すことを発表した。

無重力の世界へと飛び立つ宇宙飛行士たちが、宇宙に近い環境下で訓練を積み重ねるように、岡田さんのアスパラガスもまた、天空の彼方へ向けて段階的に研究開発が行われている。

すでに栽培適地である先述の農園で2022年より栽培した作物は、十分納得のいくおいしいものに育った。4つに区切られた第2フェーズは、荒れた耕作放棄地での栽培だ。ここでの試作もクリアしたのち、さらに水や光が不十分な状況やより過酷な環境での栽培を続け、最終的にはいよいよ月面でのおいしいアスパラ栽培を目指すことになる。

けれど、その道のりが決して平坦なものでないことは、想像に難くない。

実際に月面で栽培するとなると人工のLEDの光を用いたり、少ない水を効率的に活用することが必要。ポイントとなるのは、やはり水の消費量にあるようだ。では、月面での栽培を考えたとき、どんな栽培方法が適しているのだろう?

 

岡田:正直なところ、完全には想定できていません。栽培方法を分けると土を使って育てる土耕栽培と完全に水だけで育てる水耕栽培がある。これをまず検討する必要があります。栽培方法も大きく変わってきますが現段階では、土耕がいいのではないかという仮説を立てて実験を進めています。

 

水耕は当然ながら水を多く使う。さらには肥料を溶かさないと植物は育たない。その肥料を月まで運搬するにも莫大なコストが必要だ。立ちはだかる壁の大きさに膝が折れてしまいそうだが……。

 

岡田:いま、日本企業の『TOWING』で、月面の砂を野菜が育つ土にかえるという研究が進行中です。実際に土が使えるようになれば、アスパラガスの根っこを有機物として土に混ぜ込み、現地で土も肥料も調達できるようになる。

 

地上から輸送するのではなく、月面でどちらも手に入れてしまう。大胆すぎる発想は決して机上の空論ではないようだ。宇宙での作物栽培に向け、各企業・研究機関が手を取り合い技術や成果を掛け合わせていくことで実現させようとしている。

 

岡田:天地人のナレッジだけでは月面栽培を成し遂げることはできません。各フェーズでの成果を発信することで興味をもってくださる方々に手を挙げていただき、みなさんの技術をお借りしながら月面を目指しているんです。

 

技術を結集して挑む遥かなる旅路。厳しい道のりには変わりない。それでも、岡田さんは見果てぬ夢を追いかける。

宇宙から地上の課題を解決する
もうひとつのミッション

科学分析して与える肥料は産地の1/5ほどに抑えている。©2023 NEW STANDARD

岡田:なんの野菜を栽培するか、となったときに候補にアスパラガスがあれば嬉しい。けれど、何年までにとは、まだはっきり断言はできせん。成果が出るにはそれなりの時間がかかりますから。

 

未来を託された青年は言葉を選ぶようにこう答えた。情報やデータをもとにある程度は月面の環境を推測することはできても、環境の異なる地球でいかにそこを逆算しながら育てていくかという挑戦。

それでも、いつの日か、宇宙へ──。

壮大なミッションに、こうも心躍らされるのはなぜだろう。いま、岡田さんのアスパラガスに共感する人は多い。先述の「テンキ」オーナー亀谷剛氏や店長中澤篤史氏もそう。味はもちろん、いつか月面で栽培したいという大きな夢に、同じく夢をもって集まったチーム「テンキ」がシンパシーを感じ、グランドメニューの一角を担う月面アスパラの天ぷらは生まれた。

いっぽうで、どこか拭いきれない疑問も。月までたどり着くには、いったいあと何年かかるのか。そのプロジェクト自体、岡田さんの代で叶えることはできるのだろうか。

 

岡田:おっしゃる通り、月面でうまく育つ技術には至らないかもしれません。月面農場自体が人類のいまの技術では追いつかないことも考えられます。それでも、そこに至るまでのプロセスが地球の課題の解決につながると信じているんです。

 

岡田さんの言葉を借りればこうだ。たとえば環境変化により水不足が深刻化する地域において、乾燥しきった大地において、月面アスパラガスで得た知見や技術を応用することで、地上のあらゆるエリアでアスパラガスをはじめとする野菜の栽培が可能となる。

草丈をコンパクトにすることも水分を抑えた栽培法も、条件をひとつずつ変えながら過程をつくりあげるその実験が、地球にも還元できる。月面栽培という壮大なプロジェクトは、裏を返せば環境変化が激しい現在の地球において、いかに効率よく作物を育てることができるかという課題に直結していた──。

 

岡田:近年、鮮度劣化しにくい、外見が変化しにくい野菜が開発されはじめています。でも、やっぱりおいしい野菜が食べたいじゃないですか。それを実現するためには、どんな場所でも栽培できる栽培法を確立することで、遠路わざわざ運んでくる必要もなくなりますし、結果的にはそれが地域や地球のためにもなると思うんです。

 

月面を目指す過程のなかで、過酷な環境へと変わっていってしまった土地での栽培方法を見出し、衛星データをはじめとするテクノロジーを応用することで地球の農業の課題解決に貢献する。月面アスパラのもうひとつのミッションがここにあった。

 

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あと何年先に人類は月面、あるいはそれよりもっと遠い惑星での生活が可能になるだろう。夢想と言ってしまえばそれまでだが、来たる“いつの日か”に向けた技術革新が日進月歩で進んでいることだけは間違いない。

だが、そんなことよりも目の前の食糧危機。もしも、あなたがそう感じているとすれば、少しだけその考えを改めてもいいのかもしれない。なぜなら、必ずしもそれらは背反するものではないから。月を目指すアスパラガスがそれを教えてくれているような気がしてならない。

『テンキ』

【住所】東京都渋谷区桜丘町29-27 エクセレンスビルディング桜丘町202
【営業時間】17:00〜24:00(7月から不定休)
【公式Instagram】https://www.instagram.com/tenki_shibuya/

 

Top image: © 株式会社天地人
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