かつて、「ジャンク」と呼ばれた味の終着点

食における「罪悪感」とはなんでしょう?

深夜に食べるラーメン?揚げ物にかけるマヨネーズ?食後のスイーツ?それとも、袋を開けたら止まらないスナック菓子でしょうか?

自制の念を抱えながらそれでも箸が止まらない、満腹感とともに「あぁ、またやってしまった」と後悔に苛まれる……。いつからか、人はそれを罪悪感という言葉に置き換え過ぎたことをうやむやに誤魔化し、また罪を重ねてしまう。では?

すこしばかり古いデータで恐縮ですが、料理写真共有アプリ「SnapDish」がコロナ禍の2021年に実施した調査によると、コロナ禍前後で約4割の人が「食事への罪悪感が増えた」と回答したそうです。

なかでも、罪悪感を覚える対象について聞いたところ、「なんらかの罪悪感がある」と回答した人はじつに97%だったとか。

健康志向の高まりとともに糖質、脂質、コレステロールへの過剰な警戒がすすむ昨今。もちろん健康あっての食の楽しみ。そこは理解したうえで、あらためて皆さんに問いたいのです。

 

食における罪悪感って、なんでしょう?

罪悪感や不安感を帳消しにする
「完全」の文字の強み

©2024 NEW STANDARD

これはあくまで筆者における食へのアプローチ、と、ことわりを先に申し上げたうえで。ご存知、日清の「完全メシ」シリーズを並べてみました。

健康とおいしさの両立を謳い文句に、厚労省が定める「日本人の食事摂取基準」に設定された33種の栄養素を摂取できるという栄養食。2022年の発売以来、多くのユーザーの「本当に両立できるのか?」といった疑念をその味で払拭してきたであろう人気シリーズです。

まだ未体験の方、まずは騙されたと思っていちど手にとってみてください。きっと意外すぎる、そしてじつに素朴な感想が口をつくはずだから。

「あれ、フツーじゃないか」

そうなんです。これこそが完全メシにおける最上の褒め言葉。と筆者は信じて疑いません。じつのところ完全メシは、フツーにカップメシであり、フツーにカップ焼きそばであり、フツーにスナック菓子であり、スムージーなのであります。

我々がときに我慢したくなる、あるいは罪悪の念を抱いてしまうカップ麺やスナック菓子。その“ジャンクっぽさ”をきちんと残しながら、必要とされる栄養素も同時に満たしてしまう。もはや反則ですよ。抜かりなし。

本能の欲するままに。
「免罪符」としての完全メシ

考えてみてください。なぜ、カラダがあるいは脳が欲する食への渇望に罪の意識を感じる必要があるのでしょう。

栄養がない、活力を生み出さない、そういったガラクタ(ジャンク)な食べものをカラダに取り込むことへの後ろめたさ。あるいは家庭的で真心こもった料理の対極として、いつからか「ジャンクフード」といった線引きがなされるようになりました。駄菓子やファストフードしかり。

もちろん、栄養たっぷり、愛情たっぷりに越したことはない。でも、そうじゃない食事を我々は罪の意識を抱きながら、自分自身に嘘をつくように食べなければいけないのでしょうか。

 

話が脱線しました。

そこで、あらためて完全メシを推したいわけであります。罪深き人間だからゆえの完全メシ、そんなアプローチがあってもいいんじゃないでしょうか。だって、ジャンクなあの味を無性に求めるときだってあるじゃないですか。ガラスの小鉢や薄はりの平皿にお行儀よく盛り付けられた料理だけが、琴線に触れるわけでもないじゃないですか。

どうせならば、心に無理のない選択をしたいものです。罪の意識がすこしでも軽くなるのであれば、その方がいいに決まっている。そこで完全メシ、というご提案。

なんなのでしょう、「完全メシ」というこのロゴがどうにも免罪符に見えてしまうこの頃です(笑)もちろん、これだけ食べていればいいなんて、一言も述べるつもりはありません。食事は言わずもがなバランスですから。

 

三度、食における罪悪感とは?

この時代、もうそういった意識すら不要なんじゃないかって思ったりもします。かつてジャンクだったものが、もはやそうは呼べない内容に取って代わっているわけだから。

もっとご自分の欲に自由になって、食べたいものを賢く選び、自在に食べる。これこそ現代の食のあり方なのかもしれませんね。

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そうそう、この冷凍タイプもまたいいんです。稚拙な表現で恐縮ですが、ちょっとだけ“母”を連想させる味がするんですよね。

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TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。