なぜ今、テック愛好家たちは「ダムフォン」を選ぶのか?
スマートフォンの登場により、24時間365日、世界と繋がることが当たり前になった今、その圧倒的な利便性は疑いようもない。そのいっぽうで、絶え間ない通知、溢れかえる情報、そして希薄化していくリアルな時間……。
こうした状況に、静かな疑問を投げかける動きがある。驚くべきことに、テクノロジーの最前線にいるはずのテクノロジー愛好家たちまでもが、意図的に機能を制限した「ダムフォン」を選び、意識してデジタルデバイスから離れるデジタルデトックスを実践し始めているという。
彼らはなぜ、スマートフォンの万能性からあえて距離を置き、「繋がらない」自由を求めるのだろう。その背景には、現代社会が抱える課題と、人間らしい豊かさへの渇望が浮かび上がる。
「通知疲れ」からの脱却
Z世代がダムフォンに求める“静寂”とは?
ダムフォン(通話やSMSなど、基本的な機能に絞ったシンプルな携帯電話)への回帰現象は、特に若い世代を中心に顕著だ。たとえば、データインテリジェンス企業「Morning Consult」が2024年に実施した調査によると、米国のZ世代の16%がすでにダムフォンを使用しており、さらに25%が「興味がある」と回答しているという。彼らがダムフォンを選ぶ理由としてもっとも多く挙げるのは、「携帯電話の利用を最小限にしたいから」「スクリーンタイムを制限したいから」である。
この動きを後押しするように、意図的に機能を削ぎ落としたミニマルなダムフォンを開発・販売する企業も注目を集めている。「Light Phone」社は、2021年には前年比で売上が150%増加したと報告されている。日本でも、スマートフォンアプリの1日あたり平均利用時間は、「フラー株式会社」の調査によれば4.8時間にも達する。
このような「常時接続」状態がもたらす精神的な負担――いわゆる「通知疲れ」や「情報過多」――からの解放を求める声が、ダムフォンへの関心やデジタルデトックス市場の拡大に繋がっているといえるだろう。実際に、デジタルデトックスアプリ市場は、23年の約3億9000万ドルから、2032年には194億4000万ドル規模への成長が予測されていることからも、その切実なニーズがうかがえる。
失われた「集中力」と「余白」を取り戻す
デジタルデトックスによる創造性の再起動
なぜ、利便性と引き換えに、人々はシンプルなデバイスやオフラインの時間を求めるのか。その根底には、現代人が無意識のうちに手放してしまった“何か”を取り戻したいという切実な願いがあるのかもしれない。
その“何か”のひとつが、「集中力」と、思考を深めるための「余白」だ。スマートフォンから絶え間なく送られてくる通知や、次々と現れるSNSのフィードは、注意力を細分化し、ひとつの物事に深く没頭する時間を奪いがち。
理化学研究所が2024年に発表した研究によると、ソーシャルメディアの閲覧といった一対多のオンラインコミュニケーションは孤独感を増加させるいっぽう、メッセージの直接的なやり取りのような一対一のコミュニケーションは幸福感を高めるという。また、同研究では、スマホアプリの利用増加が対面コミュニケーションの時間を減少させ、間接的に精神的健康へ負の影響を与える可能性も指摘されている。
ダムフォンへの切り替えやデジタルデトックスの実践は、こうしたデジタルノイズから意識的に距離を置き、自分自身と向き合う静かな時間、あるいは目の前の人やコトに深く関わるための時間を確保するための、積極的な手段とも言える。
歌手のEd SheeranやSelena Gomezといった著名人が、精神的な健康や創造性の維持のためにデジタルデトックスを公言していることも、この流れを象徴しているといえるだろう。彼らは、あえて繋がらない時間を持つことで、新たなインスピレーションを得たり、より質の高いアウトプットを生み出したりしているのかもしれない。
テクノロジーとの新たな関係性
ダムフォンはミニマリズム的価値観の表明?
ダムフォンへの関心やデジタルデトックスの実践は、単にテクノロジーを否定する動きではない。むしろ、テクノロジーとの「より主体的で健康的な関係性」を再構築しようとする現代人の模索の現れと捉えることができる。スマートフォンに「使われる」のではなく、自らの意思で、必要な機能を、必要なときにだけ「使いこなす」。そのための選択肢として、機能が限定されたデバイスが再評価されているのではないだろうか。
この思想は、「ミニマリズム」の価値観とも深く共鳴する。物理的なモノだけでなく、情報や人間関係、さらにはデジタルな繋がりにおいても、本当に自分にとって重要で価値のあるものだけを選び取り、余計なものを手放すことで、より本質的な豊かさを追求するライフスタイル。ダムフォンの持つ究極的なシンプルさは、まさにこの思想を体現しているかのようだ。それは、多機能・高性能を追求し続けてきたスマートフォンのあり方に対する、静かなるアンチテーゼとも言えるのではないだろうか。
すべての人にとって、ダムフォンが最善の解決策とは限らない。しかし、この一連の動きは、私たちが日々当たり前のように享受しているテクノロジーとの関わり方について、一度立ち止まって深く考えるべきだというサインなのかもしれない。
情報感度が高く、常に新しいアイデアや価値観を探求する人々にとって、この「あえて繋がらない」という選択は、自身の生産性、創造性、そして心の平穏を見つめ直す、またとない機会を与えてくれるだろう。それは、テクノロジーに振り回されるのではなく、真に豊かな人生を送るためにテクノロジーをどう活用していくか、という私たち自身の問いへの、ひとつの応え方なのではないだろうか。