【ライフデザインYouth Lab.】
悲報……彼氏が完全に地蔵化しました。
いくら祈っても動かない彼を蘇らせる唯一のお供え物とは?
目次
この記事は大学生を中心とした若い世代とこども家庭庁によって組織されたプロジェクト「ライフデザインYouth Lab.」が作成したものです。若い世代が主体的に、自らのライフデザインについて考える機会の創出を目指しています。
※「ライフデザインYouth Lab.」について詳しく知りたい方は文末をご覧ください。
【記事執筆者】

【参加した理由/このプロジェクトでやりたいこと】
自分のライフプランを改めて考え直すきっかけだと感じたから。自分の考えを言語化し、他者との対話から視野を広げたい!

【参加した理由/このプロジェクトでやりたいこと】
「自分の考えを社会に発信してみたい」と常日頃考えていたため。

【参加した理由/このプロジェクトでやりたいこと】
仕事とプライベートのどちらも充実させた暮らしをするためのヒントになればいいと思ったから。

【参加した理由/このプロジェクトでやりたいこと】
就活浪人をする中で、自分の将来に対して深く考える場を設けたいと思ったから。
待てど暮らせど動かない……!
なぜ彼は地蔵のようになってしまったのか

「そろそろかな?」と思ってから、早数年。
記念日のたびに、クリスマスのたびに、今日こそはと期待に胸を膨らませる。しかし、デザートが出てきても、会計が終わっても、「美味しかったね」のみ。違う、私はそんな言葉ではなく違う言葉が聞きたい。頼む言ってくれ……。
願っても虚しく私の彼氏は“地蔵”である。願うだけでは何も動かない。雨が降ろうが槍が降ろうが、彼はお地蔵様のように沈黙を守り続けている。
かつて昭和の時代には、「俺が食わせてやる」「毎日味噌汁を作ってくれ」といった言葉に象徴されるような、不器用ながらも自分から決断を下す姿が語られることも多かった。しかし、令和の今、私たちの目の前にいるのは、石のように固まって動かない彼氏である。
なぜ、彼らは地蔵になってしまったのだろうか。そして、この地蔵を動かす方法はあるのだろうか?
地蔵の原因はSNS!?
コンプラ社会と中性化の波

彼が動かないのは、動かない理由が「愛情がないから」と、単純に言い切れるケースばかりではないと感じることが多い。今の時代、積極的な振る舞いそのものが、受け取り方によっては誤解を生む可能性があると意識されやすくなっている。
かつては石原裕次郎のような、少し強引で存在感のある人物像が好意的に受け取られていた時代もあった。しかし今は違う。言動の一つひとつが慎重に受け止められる社会環境の中で、何か発信することで相手を不快にさせてしまうのではないか、と不安を抱くこともある。それに加えて、SNSが作り出した虚構の理想像が彼らをさらに追い詰める。
インスタグラムを開けば、バラの花束で埋め尽くされたホテルの部屋や、給料何年分もしそうな超高級ブランドの指輪がこれ見よがしに投稿されている。こうした投稿を目にする中で、相手が期待している水準を過剰に想像してしまう、という声もあった。
さらに、フラッシュモブやテーマパークでの演出がうまくいかなかった事例が動画として拡散されることもある。失敗すればデジタルタトゥーとして一生残る恐怖……。彼らにとってプロポーズが「愛情を伝える行為」であると同時に、「評価されうる出来事」として意識されてしまう側面があるのではないか、という見方も共有された。
男がいかに質素で二人だけの時間を大切にしたいと考えていても、相手の期待を想像するあまり踏み出せなくなる、という声も聞かれた。もし、期待に応えられなかったらどう思われるのか、という不安が先に立ってしまうこともある。
そんな高すぎるハードルや恐怖と隣り合わせの彼らに、過去の価値観と同じ決断力を求めること自体が難しくなってきている可能性もある。彼らは草食化したのではなく、肥大化した理想とリスクを前にして、無害な地蔵へと進化せざるを得なかったのだ。
私が地蔵にさせていた、その結果……

しかし、社会やSNSだけでなく、関係性の中にある相互作用も影響しているのではないかという視点が浮かび上がってきた。最も残酷な介入者は、令和の女そのものなのかもしれない。相手に求める期待が知らず知らずのうちに、矛盾を含んでいた可能性も否定できないと感じている。
例えば、日常のやり取りの中で、清潔感や気配り、コミュニケーションの丁寧さなどを強く求めていながら、少しでも荒々しい言動があれば「引く」、「怖い」と冷笑する。ところが、いざ結婚という局面が現実味を帯びると「男ならビシッと決めてよ」と、抜いたはずの牙で噛み付くことを要求する。
外見には中性的な美しさを求めながら、内面には昭和の父権的な決断力を求める。そうした二重の期待が、相手を戸惑わせていた可能性もある。
平等でありたいという価値観と、役割への無意識の期待が同時に存在してしまうこと。もしそのような状態が続けば、考えあぐねて立ち止まってしまうのも自然な反応なのかもしれない。
そして、その報いは女自身に返ってくる。関係性の中で「自分が動くしかない」と感じる場面が生まれることもある。世間はこの行為を「逆プロポーズ」と呼び、議論の中では賛否両論が語られていた。自立的な選択として肯定的に捉える声がある一方で、必ずしも前向きな感情だけで決断されているわけではない、という実感も共有されていた。
私たちが集めた事例には、「自分から言うしかなかった」「相手が決断できず、話し合いの末に自分が切り出した」という声もあった。その際に感じられる感情は、達成感というよりも、理想と現実の間で折り合いをつけた結果としての複雑な思いであることが多いように思われた。
そこには、本当はただ愛情を言葉で確かめ合いたかった、という素直な気持ちが含まれている場合もある。逆プロポーズという行為を、単純に成功・失敗で評価することは難しく、それぞれの関係性の中で選ばれた一つの形として捉える必要があるのではないだろうか。
唯一のお供え物は
正解を探すのをやめること

では、筆者の周囲で感じられた「地蔵化」という状態を考えるとき、どのような視点がヒントになるのだろうか。指輪だろうか。完璧なサプライズだろうか。それとも、誰もが羨むような演出だろうか。議論を重ねる中で浮かび上がってきたのは、「何が正解かを決めつけすぎない姿勢」の大切さだった。
プロポーズに正解があると思い込むほど、当事者同士が身動き取れなくなってしまう場面もある。失敗しない言葉、間違えないタイミング、完璧な形。それらを一つずつ積み上げようとすればするほど、プロポーズはイベント化し評価されるものになってしまう。けれど、本来の意味を振り返ると、誰かに見せるためというより、二人がこれからの人生について立ち止まり、気持ちを言葉にする時間とも考えられる。
だから、サプライズでなくてもいい。
指輪がなくてもいい。
形式張った言葉でなくてもいい。
不安があるなら、不安のまま話していい。
自信がないなら、そのことを含めて伝えていい。
完璧な未来像を提示できなくても、「一緒に考えていきたい」と共有できるなら、それも一つの形だろう。「成功させる」ことよりも、結婚について二人で言葉にしていくプロセスを大切にすること。それは、近年の価値観の中で生まれてきた一つの在り方とも言える。
プロポーズが怖く感じられるようになった背景には、人生の選択肢が増え、自分の生き方に責任を持とうとする人が増えたという側面もある。だから、立ち止まってしまう自分や相手を、過度に責める必要はない。その迷いは、真剣に関係性と向き合っている証拠とも受け取れる。
演出よりも対話を。
正解よりも納得を。
それもまた、私たちらしい現代におけるライフデザインを考える上での一つのヒントになるのかもしれない。
【「ライフデザインYouth Lab.」とは?】

「ライフデザイン Youth Lab.」とは、Z世代をはじめとする若い世代が、主体的に人生を選択できるようになることを目指す、若い世代から若い世代に向けたライフデザインコンテンツです。
この記事を読んで「私にとってのライフデザインって?」と感じたなら、彼らの活動についてもう少しだけ触れてみてください。
自分らしい未来を描くきっかけに出会えるかもしれませんよ。
【本記事に関するご注意】
本記事は、大学生が恋愛や結婚など「ライフデザイン」について率直に話し合い、その中で出てきた意見や感情をもとに構成を考え、大学生自身によって執筆されています。そのため、内容には強い言葉や極端に感じられる表現、読み手によっては違和感や不快感を覚える可能性のある記述も含まれています。しかし、それらを過度に編集・修正することはあえて行っていません。話し合いを通して生まれた大学生自身のリアルな言葉を共有することに、この取り組みの意義があると考えています。学生の生の声をできるだけそのまま届けることで、読者の皆さんが自分自身の考えと向き合うきっかけになれば幸いです。






