スマホ時代に再び問われる「カームテクノロジー」の思想

近年、テック企業が発表する新しいデバイスの多くが「集中」「落ち着き」「デジタル疲れの軽減」といった価値を強調している。スマートフォンやAI機器に囲まれた生活の中で、より穏やかなテクノロジー体験を提供するというメッセージだ。

こうした考え方の背景にあるのが「カームテクノロジー(calm technology)」という概念だ。

この概念は、1990年代にユビキタスコンピューティング研究で知られるMark Weiserらによって提唱されたもの。

テクノロジーは常にユーザーの意識の中心にある必要はなく、生活の背景に静かに溶け込み、必要なときだけ前面に現れるべきだという設計思想が示された。

たとえば温度センサーが自動で室内環境を調整する空調システムや、ユーザーの操作をほとんど必要としないスマート照明などは、この思想を理解しやすい例だろう。人はテクノロジーを意識せずに生活し、その裏側でシステムが自然に機能する状態こそ理想とされてきたのである。

つまりカームテクノロジーとは、「目立たないこと」を価値とする設計思想だといえる。

ただし現在では、この理念が企業のマーケティングに利用されているのではないかという批判的な風潮が強まっている。あらゆる製品が「落ち着いた体験」をうたう状況では、その言葉自体が曖昧になってしまうという指摘だ。

スマートフォンは思想と逆方向へ進んだのか?

現在のデジタル環境は、この理念とは異なる方向へ進んでいるという指摘も多い。

とりわけスマートフォンやSNSアプリでは、ユーザーの注意を継続的に引きつける設計が広く採用されている。通知、レコメンドアルゴリズム、無限スクロールといった仕組みは、ユーザーがアプリを長く利用するよう設計されている場合が多い。

こうした設計はサービスの滞在時間やエンゲージメントを高める一方で、別の問題も生み出していると考えられている。頻繁な通知による注意の分断、SNSの継続的な刺激、アプリを閉じにくいインターフェースなどが、集中力の低下やストレス増加につながる可能性があると指摘されているからだ。

結果として、テクノロジーは本来の「生活の背景にある存在」ではなく、「常に注意を引く存在」へと変化したようにも見える。

この状況は、カームテクノロジーが想定していた世界とは対照的なものだといえるだろう。

テクノロジーの未来を左右するのは「データの扱い」

議論の中で専門家が重視しているのは、「calm(落ち着き)」という抽象的な概念よりも、データの管理やプライバシーの問題だ。

実際、プライバシー重視のサービスを提供する企業も存在する。スイスのテック企業Proton AGは、ユーザーのデータ保護を中心に据えたメールやクラウドサービスを展開している。

また欧州では、個人データの扱いを規制するGeneral Data Protection Regulationなどの制度が整備され、テクノロジー企業の影響力を抑える取り組みが続いている。

一方で、テック企業による規制への働きかけも続いており、今後のルール作りが重要な争点になるとみられている。

再び注目される“目立たないテクノロジー”

このようにカームテクノロジーは「目立たないこと」そのものを価値としている。

テクノロジーが常に主役になるのではなく、日常の背景に静かに存在する状態こそが理想だと考えられてきたのである。

こうした背景から、テクノロジーのあり方を見直そうとする動きも広がっている。

近年では、ユーザーの注意を最小限しか要求しないプロダクトやサービスが登場し始めた。デジタル機器の利用時間を抑えるアプリ、通知を制御するOS機能、さらにはスマートフォン依存を減らすことを目的としたデバイスなども登場している。

こうした取り組みは、テクノロジーが人の時間や注意を占有しすぎているのではないかという問題意識の表れともいえる。

デジタル環境が成熟するにつれ、便利さだけでなく「注意との付き合い方」も重要なテーマになりつつあるのかもしれない。

テクノロジーが静かに生活を支える存在へ戻るのか、それとも注意を競い合う仕組みのまま進化していくのか。その方向性は、これからのデジタル社会の設計思想を左右する問題になりそうだ。

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