「共生」は、やさしい言葉では語れない。ヒグマに魅せられた10人の証言
山と溪谷社から刊行されたノンフィクション『羆追人(くまおいびと)たち ヒグマの虜になった10人』。ヒグマに命を脅かされながらも、なお関わり続ける10人の証言が収められています。「駆除か、保護か」——その二択しか持てない私たちに、まったく別の視座を差し出す一冊かもしれません。
アイヌが「共生」を安易に口にしなかった理由
ここ数年、ヒグマが市街地に現れるニュースを目にする機会が増えました。そのたびに繰り返されるのが「共生」という言葉です。穏やかに棲み分けましょう、互いの領域を尊重しましょう——響きは美しいけれど、どこか他人事のようでもある。
本書に登場するアイヌ民族の秋辺デボ氏は、こんなふうに語っているそうです。「アイヌはな、安易にヒグマと共生したつもりにならないことで、逆にバランスをとってきたような気がする。それが、本当の意味での共生なのかもな……」。断定ではなく、長い経験から絞り出すような留保のついた言葉だからこそ、重みがあります。
この一言は、現代の私たちが無意識に抱いている「共生=平和的な解決策」というイメージを、静かに、しかし根本から揺さぶるものです。
アイヌの世界観では、ヒグマは「キムンカムイ」——アイヌ語で「山の神」を意味する存在として敬われてきました。神であるからこそ、簡単に分かり合えるとは考えない。畏れと敬いを持ち、緊張関係を保つことこそが、何百年も続いてきた「共生」の実態だったわけです。
片目を失ったハンター、母になった飼育員
著者の黒田未来雄氏は、NHKで「ダーウィンが来た!」などの自然番組を手がけた元ディレクター。2023年にNHKを早期退職し、北海道へ移住した人物です。テレビの枠では伝えきれなかった人間と野生動物の生々しい関係を、書籍という形で描こうとしたのでしょう。
本書の構成は4章立て、全288ページ。登場する10人の顔ぶれが、とにかく多彩です。片目を失いながらもヒグマと向き合い続けるハンター・原田勝男氏。大都市・札幌をヒグマから守るNPO職員の早稲田宏一氏。「ヒグマの母になった女」と呼ばれる飼育員の前田菜穂子氏。知床の番屋(漁期に漁師が寝泊まりする作業小屋)でカメラを構え続けるカメラマンの新山敏彦氏。そしてアイヌ民族の大川勝氏は、キムンカムイの魂を送る儀礼——ヒグマの霊を神の国へ還す祈りの儀式——を受け継いでいます。
狩猟、研究、行政、文化。立場はまるで違うのに、全員に共通していることがあります。ヒグマに命を奪われかけるほどの恐怖を経験しながら、それでも関わることをやめていない、という事実です。
なぜ、やめないのか。その答えが10通りあるところに、この本の凄みがあるように思えます。
「駆除か保護か」の二択を疑う
『羆嵐(くまあらし)』の朗読でも知られるアナウンサーの堀井美香氏は、本書に推薦コメントを寄せています。「共生、境界。クマとの関係が問われる今、最前線の証言が語りかける。私たちは何を畏れ、何を敬うべきなのだろうか」——その言葉は、本書全体を貫く問いそのものです。
クマ出没のニュースを見て「怖い」と感じること自体は、ごく自然な反応でしょう。でも、その「怖い」が即座に「駆除すべき」か「かわいそうだから保護すべき」かの二択に変換されてしまうとき、私たちは何かを取りこぼしているのかもしれません。
畏れながら関わる。簡単に分かり合えないことを前提にして、それでも同じ土地で生きていく覚悟を持つ。それは対ヒグマの話だけではなく、異なる価値観を持つ他者との関係にも、どこか通じるものがあるのではないでしょうか。
少なくとも、この10人の証言は「共生」という言葉を口にする前に、一度立ち止まって考える時間をくれるはずです。
『羆追人たち ヒグマの虜になった10人』
【著者】黒田未来雄
【出版社】山と溪谷社
【発売日】2026年7月17日
【価格】2,200円(税込)
【仕様】四六判並製本・288ページ
【公式サイト】山と溪谷社 書籍詳細






