世界を舞台に覚悟を持って生きる—海外でフリーランスとして働くには? -龍 フェルケル
ヨーロッパ中を飛び回りながら仕事をする、ドイツ・ベルリン在住のフリーランスのカメラマン。海外で活躍する日本人サッカー選手をはじめ、様々なスポーツ写真を撮影する。ナイキ、アディダスなどとも契約を結んでいる。WEBサイト『Ryu Voelkel』Flickr: toksuede’s Photostream
Twitter: Ryu Veolkel (@toksuede)
001 29歳、サラリーマンを辞めて、カメラマンに
龍さんは、もともとカメラマンになろうとは考えていなかったんですよね。どのような経緯で現在のお仕事をされるようになったんですか?
14歳の時に親の転勤で日本から香港に移住しました。その後、アメリカの大学で心理学を学び、卒業後は修士課程に進学。博士号を取るほど学び続けたい気持ちがなかったのでまずは就職しようとしたんですが、就労ビザを持っていなかった僕はどの企業にも雇ってもらえませんでした。
23歳、人生初の挫折。日本に帰ってアルバイトしながら将来を考え直した後、イギリスに移住することを決意しました。僕のパスポートがドイツ国籍だったので、EU圏内のイギリスなら合法的に働けたんです。現地の一般企業に就職し、3年後にロンドンの三菱商事に転職しました。
けれど、サラリーマンという働き方は僕に合っていないことに気づきました。人それぞれ向き不向きがあると思うんですが、僕には毎朝同じ時間に起き、同じ服装をして、同じ電車に乗って、同じ職場で働いて…という決まりきった生活ができませんでした。
サラリーマンを辞めたはいいものの、何をすればいいのかわからなったので、とりあえず昔から好きだったカメラを始めたんですが、最初の半年間は全く仕事がありませんでした。親から借金したりしてなんとか生活していましたね。何から手をつけていいかわからない状況だったんですが、チャンスは突然転がりこんできました。毎日新聞のロンドン支局で働いていた友人のつながりで毎日新聞の東京本社の写真部の部長とお会いできることになったんです。すぐに日本に飛び、その方にお会いしました。そしたら、一言「スポーツは撮ったことあるの?」。「好きですが撮ったことはありません」と答えたら「明日のサッカーの試合を試しに撮ってこい」。
唐突の採用試験。当時の僕はフォトジャーナリズム方面で働きたかったので、スポーツ写真の撮影は全く視野に入っていませんでしたが、なんとか部長から合格をもらえました。それで、その年の夏に行われたFIFAコンフェデレーションズカップ(各大陸王者によって争われるサッカーの国際大会)の撮影のお仕事をもらったんです。そしたら、その会場でもチャンスが。
フォトエージェンシーのボスに出会い、僕がイギリスに住みながらスポーツ写真の撮影を始めたことを話したら、スコットランドのセルティックにその年から所属することが決まっていた中村俊輔選手の写真を毎試合撮る仕事をもらえたんです。そこからキャリアが始まり、今に至ります。
002 100発中1発当たれば、それでいい
ヨーロッパを移動しながらフリーランスのプロカメラマンとして活躍されていますが、具体的にどのような働き方をしていますか?
僕の仕事にはいくつかのパターンあります。たとえば、エージェンシーから依頼を受けてヨーロッパで活躍するサッカー日本人選手を撮りに行ったり、自分の撮った写真をネットに上げて写真を売りこんだりしています。多くの人はある国を拠点としてそこで行われるリーグの写真を撮るんですが、僕の場合は拠点がないので、完全に自由。基本的に自分の撮りたい試合を撮りに行くという感じなんです。移動は面倒ですが、同じ場所で働き続けたくないので、毎回違う場所で働くということは刺激的です。
仕事で心がけているのは、常に新しいものを取り入れていくこと。フリーランスの身なので、僕には失うものが何もないんです。100発中1発当たれば、それでいい。自由に新しいこと考えて行動し、前へ前へと進まないと人生面白くないじゃないですか!30代でもう老後のことばかり考えなきゃいけない人生なんて僕は嫌ですよ(笑)
カメラマンとしてもこの意識は大切です。プロカメラマンって写真を誰かに見てもらい評価してもらって、初めてカメラマンとしての価値が生まれる。評価してもらえる写真というのは、他の人と違う写真だと僕は思うんです。月に何試合もあって、一試合に何十人もカメラマンがいる中で、周囲の人と同じように撮っていても意味がない。それなら違うものを違うように撮る方が目立つし、人から求められる。だから僕自身も日々とにかく新しいことをインプットし、またアウトプットして、撮影のスタイルを絶えず変えていくことを意識しています。
003 背水の陣で仕事に臨む
経歴から仕事に対する考え方までとても面白いですね。海外でフリーランスとして働くことに怖さはないんですか?
もちろん、カメラマンになれたのは、運がよかったこともあります。人生運ですよ、運!(笑)けれど、怖さは常にあります。フリーだと自由で楽しい反面、会社に務めていた頃と違って後ろ盾がないので、いい写真が撮れなかったら全部自分に降りかかってくる。明日から仕事はないかもしれない。自分の撮った写真が情けなくて、夜になかなか寝付けない日もあります。けれど、仕事に対してそれくらいの覚悟がないと、中途半端になっていい結果は出せないと思うんです。
だからとにかく自分にプレッシャーをかけまくる。僕なんて、カメラマンとしての駆け出しの頃から今もずっと、頭の中では背水の陣で仕事に臨んでいます。フリーランスという仕事柄のとおり、僕はこうやって生きていきたいタイプの人間なんです。
004 日本人カメラマンとして、日本にできること
龍さんは東日本大震災の被災地を撮影しに行かれたましたが、海外の震災への関心や考え方はどうなんでしょうか?龍さんの被災地での活動についてのお話も聞かせてください。
海外の方が日本よりも東日本大震災についてちゃんと考えて行動しているように感じます。日本は震災について報道しなさすぎだし、心配しなさすぎです。実際に日本はかなり危険な状態なのに、「被災したのは中心地じゃないからいいじゃん」みたいな感じで、危機感がなさ過ぎるように見える。自分の母国が悲惨な状況になっているのにもかかわらず、日本にいる人が誰もアクションを起こさない光景は、海外から見ていて悲しかったですね。
僕の被災地で行ったプロジェクトは、同じ場所で同じ子供を5年後に再び撮るというものでした。これを行った理由は、たしかにビジネスの面もありましたが、日本人として何かできないかと考えた結果、僕にできることといえば写真を撮ることだけだったので、写真を通じて海外の人に日本の現状を知らせようと思ったためです。子供たちの協力のおかげでなんとか撮れ、日本、ドイツ、フランスのメディアに掲載され、少しでも海外の人に現状を伝えることができたかなと思います。
005 「困らない」というパラドックス
龍さんは日本にいる時間よりも海外にいる時間の方が長いですが、日本についてどう思いますか?
日本は良くも悪くも快適すぎます。なんでも揃っているし苦労することがない。海外生活が長いとうまくいかないことに慣れているので、日本に帰ると楽しくて仕方がないんですよ。ヨーロッパでは、切符を買うにしてもイライラするほど時間がかかる。でもその分、日本にいるとすぐにだらけてしまうから早く海外の荒波に呑まれないといけないなって感じてしまうんです。
外から見ていると、日本がガラパゴス状態だということがよくわかります。国自体が一人っ子みたいに見えるんです。政府が悪政を行っても国民は反論しない。その理由は、反論しなくてもある程度の生活水準が保てるし、特に困ることがないからだと思います。こっちの国とかだと気にくわなかったらすぐ反論するし、しばしば暴動も起きる。それが必ずしもいいことだとは思いませんが、日本でもそれくらいのことは起きてもいいんじゃないかと思いますね。
006 アウェーで戦わない日本人
日本人の内向き志向についてどう思いますか?
将来的に考えると、このことは非常に悪いことだと感じます。日本人は海外に行かなくても生きていけるし、英語を使えなくても日常生活になんの支障もきたさない。ホームでは強いけれど、アウェーではボコボコにされてしまう。それ以前に、勝負する前にアウェーに行かないのかもしれません。
これを解決するためにも、日本人にはまずは外の世界に興味を持ってほしいです。テレビや雑誌で見るだけではなく、実際に肌で感じないとわからないことがたくさんある。英語を話せない僕の従兄弟が初めての海外で一緒にナポリに旅行に行ったんですけど、なんでも自分でやらせてみたら楽しそうに一人でなんとかやっていましたよ。人間、意外となんとかなるものです。外に出ない言い訳ばかり考えずに、「どうにかなるでしょ!」くらいの気持ちで海外に出てみてほしいです
TABI LABOインタビューアー〈別府大河〉一橋大学商学部2年生。海外を旅して、世界における日本の可能性を感じる。将来は、日本から海外へ、海外から日本への架け橋となり、世界中に「幸せ」を創出することを志す。2014年9月からコペンハーゲンビジネススクールへ交換留学し、そのまま休学して世界中を巡る予定。