旅で人生は変わらないけど、旅は「生きる」そのもの―NHKディレクター 倉崎憲
旅をこよなく愛する男・倉崎憲。学生時代にはラオスに小学校を建設し、世界一周の旅に出たこともある彼は「旅で人生は変わらない」と言う。そんな彼はなぜ旅の虜になるのか? その言葉の真意に迫った。
001.
あなたが人生で一番きれいな星空を見たのは、どこですか?
倉崎さんは旅が大好きなんですよね?
年に3回は旅に出ます。生きている心地を身体全部で感じるのが好きでたまらないんですよね。いや、愛しています。
「あなたが人生で一番きれいな星空を見たのは、どこですか?」と聞かれたらどう答えますか? 今まで40カ国以上旅したなかで、僕はブラジルと答えます。サンパウロで普通の車では通れない道を軽トラに乗って、山奥まで入ってブラジル人とサッカーして。その帰りに、日が暮れてしまい辺りが真っ暗になり立ち往生を食らってしまったんです。
「宿に帰れないんじゃないか」「朝までここで過ごすのか」とどーすんだよって感じで怖かったけど、マンネリ化していた旅から脱却して内心ワクワクしました。
そんな心境でジャングルのど真ん中からあの時見上げた星空は忘れられません。世界中どこから見ても星空は綺麗だけど、真っ暗なおかげで見える、普段は見えない大量の星。「生きてるなー」そう感じました。
002.
現実からの逃避だった、初めての海外
旅に取り憑かれていますね(笑)。いつから旅を始めたんですか?
大学1年の時です。特に深い考えはなく「国際弁護士になりたい」と大学に入ったんですが、どのスポーツ系サークルに入っても日本一を目指すわけでもなく、大学の講義も法律の勉強もものすごく退屈で。そんな日常にモヤモヤして爆発しそうで、逃げるように旅に出ました。
近くて物価の安いタイに行こうと思って本屋に行ったら、たまたまタイの『地球の歩き方』が売り切れていたので仕方なく東南アジア版を眺めていたらなんとなくラオスの風景写真に目がとまって。
ラオスのバンビエンという、一日あれば自転車で周れる小さな町で自転車片手、サッカーボールをもう片手に「何か面白いことないかな」と町中をぐるぐる走っていました。すると後ろからトントンと腰の辺りを叩かれたので振り返ってみると、少年がサッカーボールを指差して身振り手振りで「一緒にサッカーしようぜ!」と。
彼について小学校に行くと、そこには100人以上の子供たちがいたんです。ボールを思いっきり蹴り上げると、子どもたちが一斉にバーッとボールを追いかけ始めて。チームも敵も味方もなく、とにかく走ってはボールを蹴り続ける遊びが始まりました。
その時だけはそれまで抱えていたモヤモヤが払拭されました。欲まみれの喧騒な日々から離れて、ピュアな心でみんなと一つのボールを必死に追いかけるあの感覚は今でも忘れられません。旅の魅力を初めて知りました。
003.
ラオスに小学校を建てる
ラオスに学校を建てようと思ったのは、その旅でのことだったんですか?
そうなんですが、何かを変えたいとかそんなことを考えていたわけではなく、たまたま出逢った素敵な人たちに導かれるように無我夢中で突っ走っただけなんです。
子どもたちとサッカーした翌日からいろんな村をまわり始めました。現地で出逢ったボランティアの方に通訳してもらいながら、村人にお話を聞いて回りました。
「1番何がしたいですか?」と聞くと、ほとんどの村人たちが「自分の息子、娘にはせめて初等教育を受けさせたいし、友達を作って欲しい」と、ものすごく素朴な感情で語りかけてくれるんですよね。
たしかに奥地へ行けば行くほど、日本では当たり前に通うことができる小学校がない。字の読み書きなどの生きるための知恵が学べないのはもちろん、トモダチができない。教育って生きていくために最も必要なものだと思うんです。
何か力になりたいという気持ちを抱えながら旅を続けたんですが、「ラオスの学校がない村に学校を作ろう」と帰りの飛行機で決心。帰国後、国際協力団体を立ち上げてイベントで資金を集め、再び現地に赴き教育省の方と候補の村々をまわり様々なヒアリングをして、建設地を決めて……と、がむしゃらにプロジェクトを進め、無事に一校目の小学校を建てることができました。
現在では後輩たちが他の村にも三校を建設して、年に二度現地に赴き、村人や子どもたちと継続的な信頼関係を築いていってくれています。本当にうれしいです。
時には周りからなんでラオスなの?とか色々言われることもありましたけど、たまたまラオスに行って、素敵な人たちと出逢ったからだけのこと。
東南アジアだってアフリカだって欧米だって日本だって、それはどこでも同じ。行った場所で、出逢った人とハッピーでいたい。
開校式のとき、アグレッシブに勉強に取り組む子どもたちや心から喜んでくれた村人を、メンバーたちとリアルにこの目で見た時、「やってきてよかったな。」と初めて活動の意義がわかった気がしたんです。
大事なのは妄想でもネットでもない。ピカピカの立派な小学校でもない。いま目の前にある、この光景が全てなんだと思いました。今の仕事にも通じることですが、現場が全てであって、ネットや外野の声は決して鵜呑みにすべきじゃない。
今春、休暇を使って6年ぶりに小学校を建てた村を訪れました。すると懐かしい顔がズラり。ホームステイさせてもらった時の写真を嬉しそうに出してきてくれる村人もいました。
小学校を卒業して無事中学校に進学できた生徒たちとも再会。「あの小学校があったから今の私がある。将来は母校の教師になるのが夢。」と満面の笑みで報告してくれる子もいました。
ぼくたちがしたことが正しいかどうかなんて、誰にもわかりません。でもどこで何をしようが、出逢った人たちと一緒に、ハッピーな瞬間を過ごしたいです。
004.
もし旅してなかったら、僕は今どこで何をしているんだろう?
学生時代に世界一周したお話も伺わせてください。
ちっちゃい時から漠然と世界一周をしたいとずっと思っていたんですよね。それで半年休学して、企業やお世話になってる方々にプレゼンして旅の資金を出していただいて、弾丸で19カ国32都市をまわりました。
旅先で印象的だったのは、パリで映画の撮影現場に偶然遭遇した時のこと。白人も黒人もいろんな人種がごちゃ混ぜの100人くらいのクルーの中に、日本人が1人だけいて。僕にとってものすごくかっこいいサムライに見えた。
それに、各セクションがたった数秒、1カットのために闘ってる現場を目の当たりにして、もともとはNHKでドキュメンタリー番組を志望していたんですが、それからふつふつとドラマや映画への想いが芽生え始めました。
その後、インドのバラナシで遺体が次々と焼かれ、ガンガー(ガンジス川)に流される光景を眺めていたら「あー、どんな人生を送っても自分もいつか死ぬんだなー。やりたいことやろう」と猛烈に焦燥感に駆られ、気づいたらインターネットカフェに入って海外の映画専門学校を検索していた。
それでたまたま見つけた『New York Film Academy』に申し込んでいました。迷いはありませんでした。NYでは世界中から集まった映画監督志望の猛者たちと作品を何本か作ったり、偶然の出逢いからハリウッドの現場で学ぶ機会ももらえました。
もしあのとき休学して旅に出ていなければ、パリで映画の撮影現場に居合わなさなければ、バラナシで生死について考えていなければ、また違った道があっただろうし、どうせ人生なんて選択の連続でバクチなんだから、刺激がある瞬間をたくさん生きたいです。
005.
あなたの目の前で起きていることがすべてじゃない
旅に出て変わったことはなんですか?
旅をすると人生が変わるなんて思いません。それでも旅から学ぶことはとても多いです。
僕にとって、旅は自分の振れ幅の一つ。たとえば、映像の仕事はこれまでの人生経験が表に出るものだと思っていて、旅で様々な感情を感じることができれば表現の幅が広がるだろうし、役者の引き出しも増える。
高城剛さんがおっしゃるように、「アイディアは移動距離にほぼ比例する」んですよね。だから2日以上休みがあったら国内を旅するし、4日以上あれば海外にも行く。とにかく同じ場所に居続けないでできるだけ移動しています。
海外に出るといろんな景色や人、新しい感覚などに出会える。それらを知っていると、日本で理不尽なことや凹むことがあったり嫌な人に会っても、「目の前で起きているこのことがすべてじゃない」とわかっているので次に進みやすい。これが、世界が僕に教えてくれた一番大切なことだと思います。
京都府出身、27歳。大学卒業後、2011年NHK入局。ドラマ番組部に配属され、大河ドラマ「平清盛」、テレビ60年記念ドラマ「メイドインジャパン」などの助監督を経て、ラジオドラマ「世界から猫が消えたなら」(主演:妻夫木聡)で初演出。「僕たちは世界を変えることができない。」(星雲社)写真担当。南アフリカフォトコンペ最優秀賞受賞。