幸せの象徴ではない「黄色」のもうひとつの顔を知っていますか?
一番好きな色を聞かれて「黄色」と答える人は、どのくらいいるでしょうか?爽やかなイメージ、レモンやバナナといった新鮮なフルーツ、もしくはお気に入りの戦隊モノやアイドルをイメージする人も多いかもしれません。
書籍『色で巡る日本と世界 くらしの色・春夏秋冬』では、さまざまな色に関する歴史やトピックについてまとめられていました。
その中でも黄色は「時代や環境によって、こうもイメージ変わるのか…」と思わされるほど、数奇な運命をたどっているのです。
東洋ではポジティブな
「黄色」
黄色は、明るい希望の色、喜びと幸せにあふれる色だとされています。映画『幸福の黄色いハンカチ』では困難を乗り越える愛情を、ビートルズの名曲『イエロー・サブマリン』では理想的な世界を暗示しています。新幹線電気軌道総合試験車「ドクターイエロー」が、見ると幸せになれるという都市伝説を生んだのは、記憶に新しいでしょう。
太陽の輝きや野に咲く花々、秋に実る穀物、地下に眠る資源など…大地の恵みを束ねた豊かな黄色のイメージは広く愛されてきました。インドではウコンの黄色は、幸せな結婚生活を象徴し、病に打ち勝つ力があるとされています。東洋では仏教を表す色、中国では大地の中心であり皇帝の色、ポリネシアでは神聖な本質を持つ色です。
しかし、黄色は東洋と西洋で大きくイメージが異なり、とくにキリスト教圏では長く忌み嫌われたのです。
イスカリオテの
ユダの色
黄色は、古代ギリシャ人やローマ人には鮮やかで温もりのある色としてポジティブに用いられ、巫女や神官が身につける色とされていました。
それが、中世になると評価が一転。多くの色が正と負両方の象徴を持つにも関わらず、なぜか黄色は否定的な意味に偏っていくのです。キリストを裏切ったユダを指す色とし、ユダヤ人やイスラム教徒を排除する目印に利用されたことから、アウトサイダーや堕落した者のレッテルとして使われていました。
キリスト教では、金色は崇高な輝きで人々を照らす光そのもので、天上と地上を媒介する色でした。ポジティブな象徴は金色に奪われてしまい、黄色は衰退、病気、憂鬱など、避けるべきネガティブなものの象徴になったのです。
犯罪者の家は黄色く塗られ、火あぶりの刑を受ける者は直前に黄色い服を着せられ、妻に不倫された夫は黄色い衣装やネクタイで戯画化されました。
狂気、嫉妬、不名誉の色としての黄色は、20世紀半ばまで続きました。
幸福なカラーとしての
「イメージ復権」
不遇な過去をもつ黄色でしたが、ルネサンス期以降復権が始まります。18世紀にはシノワズリー(中国趣味)と共に流行し、ナポレオンの治世には、その明るく華やかな色彩と豊かな色調が受け入れられました。
また、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』に登場する黄色いチョッキと青い燕尾服が流行。本来の黄色が持つ、人目を惹くという特性は実用性が高く、今日では安全を促す交通標識やサインに使われ、心浮き立つパッケージなどのデザインにも多用されるようになりました。
黄色は、美しく発展的な色でもあります。因習から解放されて持ち味が存分に発揮されるようになったとき、本当の意味で「幸福を意味する色」として輝きはじめるでしょう。