「黒人であり、ムスリムであること」。その苦悩を訴える9人の男女
このハッシュタグにインスパイアされたフォトグラファーのBobby Rogersさんは、9人の男女のポートレートを撮影し、自身のInstagramで発信しました。
「黒人で、かつムスリムであるということは、時に誤解を生んでしまう。だから僕は、彼らの声を届けたいと思ったんだ」
ここには、彼らが持つ苦悩が表現されていました。
どこにいても
「排除」される可能性がある
それは、黒人社会からもイスラム社会からも排除されることがあります。けれどもやっぱり、私は両方に属しているのです。
反黒人、アラブ至上主義、そしてイスラム恐怖症。黒人でありムスリムであることは、どこにいても、こうした問題と向き合っていかねばならないということです。
「アビード」(アラビア語で「奴隷」という意味)は、「私たちはアッラーの奴隷だ」という差別用語ではありません。なのにどうして、黒人を指すためにしか使われないのでしょう?
黒人でありムスリムであるもとは、「ニガー」と呼ばれるか「テロリスト」と呼ばれるかのどちらかだ、ということです。
それは、黒人の宗教や政治の思想について知らなければ、アメリカ系ムスリムとしてのアイデンティティは成立しえないと理解することです。
黒人ではないムスリムに「僕もムスリムなんだ」と証明するためには、わざわざコーランの一節を暗唱しなければいけません。
人種と宗教のどちらを選ぶのか、常に問われ続けているようなものです。社会は常に、どちらか一方でしかありえないのだと突きつけてくるのです。
黒人でありムスリムであることは、先祖の教えを次の世代に伝えていかねばならない、ということです。
それは、アメリカのムスリムで最も大きい集団だということです。それなのに、イスラム語が話せるとは思ってもらえないのです。