古代ギリシャ人の「愛」に関する哲学。
「愛」と言っても様々なかたちがあり、一括りにはできない。恋人に対する熱い気持ちや友人らに向けた深いもの、そして他人への慈悲までたくさんある。
「The School of Life」によると、今から2800年ほど前に生きていた古代ギリシャ人たちにも同じことが言えるそう。大昔、彼らは愛をどのように捉えていたのだろう?
不変的な「愛の概念」
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愛とは、私たちにとって最も価値があるもの。誰もが求めることだけれど、大きな心配事にもなる。自分たちの愛が偏ってしまっていないか、ときに我々は不安に感じるのだ。
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社会は、愛といえば性的な関係を持ち、それ以上のものがあるべきと勧めてくる。そうする人こそ“まともな人間”なのだと。
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例にあげると、パートナーといる時にドキドキを感じるべき、会えない時間が続くと会いたいと思うべき、いつも抱きしめていたいと思うべき、キスしあうべき、頻繁にセックスすべき、などという考えだ。
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しかし、もし私たちが愛をこのように定義し、これが普通だとすれば、愛についてあまり知らないのだと恥ずかしい気持ちで受け止めなければならない。
様々な愛のカタチを
「言葉」にしてきた古代ギリシャ人
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古代ギリシャ人ならあなたに手を差し伸べることができる。彼らは早くから、愛には様々なカタチがあるのだと気づいていた。そして、良い社会というのはその違いを言葉にすることができるということを。
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古代ギリシャ人は、私たちがよく恋愛関係の初期で感じる強い性的な感情を「エロス」と呼んでいた。そして、一年以上経ちこの強い性欲が薄れたからといって愛は終わるわけではないということも知っていた。
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感情はやがて「フィリア」と呼ばれる感情へと変化していく。これは友情という意味で、フィリアのためなら死ねると思う人もいるだろう。
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アリストテレスはフィリアの哲学として、若い時にエロスを脱却して関係性の基盤をつくるべきだとした。特に結婚においては。
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古代ギリシャ人が愛を表現する3つ目の言葉、それは「アガペー」だ。慈愛という意味で、これは悪いおこないや失敗をした人に対しても、情を感じる場合にも用いられた。
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例えば、神様が人々を想ったり、観客が劇中にいる悲劇的なキャラクターに感じる気持ちをイメージしてもらえば分かりやすいかもしれない。
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私たちが誰かの強さではなく、弱さを愛する時にあるもの。長所を称えるのではなく、弱さや不完全さに対して同情や寛大な心になることだ。
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私たちの人生には、今存在している言葉以上の愛があるかもしれない。