「ホラー映画中毒」には、こんな理由がある。
「くる、きっとくる…」
このフレーズに、あの長い髪の毛から覗く青ざめた肌と、おぞましい瞳を思い出してしまう人も少なくないでしょう。
一瞬観ただけなのに、その後何年も脳裏にこびり付いてしまう。特に子どもの頃大泣きしたようなシーンは、大人になっても引きずったりしますよね。忘れたいのに記憶に残ってしまうので、観る前から「後悔する」なんてことはわかっている。それなのに観てしまう。
あの現象について、『Elite Daily』はこんなふうに解説していました。
もうすぐハロウィン。コスプレ・お菓子・お化けの季節。夏休みと同じくらい、多くの人がホラーに触れたくなる時期だと思うけれど、一度はこの疑問を抱いたことない?
「どうして怖いと知っているのに、観たくなるんだろう?」
あの世界が現すのは、世界の最も邪悪な部分をすべて集約したようなもの。血、殺人、エクソシズム、悪魔の赤ちゃん、怪物、お化け屋敷、呪われた人形、性的感染する呪い……。いま挙げただけでも、ソファーに座ったまま、気がおかしくなるまで恐怖にさらされるには十分だ。冷静に考えれば、こんなものを好むなんて病んでるみたい。
あの「ゾクゾク」によって、
脳は刺激を受け続けている
恐怖のあまり家中の電気をつけたにも関わらず、結局エンディングまでしっかり観てしまうのは、進化的な裏づけがあると『The Atlantic』はいう。
ホラー映画を観ている時、私たちの身体は実生活で恐怖を感じた時と同じような反応を起こしている。これは<逃避反応>と呼ばれていて、危険から逃れるための身体的反応。その場でうずくまるか、アドレナリンを思いっきり分泌して全力で逃げるか、このどちらかの命令を身体に送っている。汗をかいたり、鳥肌が立つのはこの反応の一種なのだ。
しかし、分泌されるのはアドレナリンだけではない。恐怖を感じている最中、私たちの身体にはドーパミンと呼ばれるホルモンも分泌されている。中毒症やリスクを伴う状況に活発化する。
危険な状況を楽しんでるかどうかは、ドーパミンがどれだけ分泌されているかが深く関係していて、ホラー映画が好きな人と、苦手な人の違いはここにある。
『National Geographic』によると、ドーパミンの量を測定する、脳中のセンサー<受容体>をどれだけ持っているかで変わる。危険度が高いほど多く分泌されるドーパミンに対して、受容体が少ない人ほど楽しめる傾向があるのだ。多く持っている人は、スカイダイビングやホラー映画などは、怖いだけで楽しめない可能性が高い。
文化的な見解によって、ホラー映画を好むという説もあるけれど。
保険つきの「非日常」で
退屈とサヨナラしたい
言い方はひどいかもしれないけれど、私たちのほとんどは、ただ単に、日常にとてつもなく退屈を感じているのだ。これはもう、仕方がない。
グレン・スパークス博士の一説によると、私たちがホラー映画をどれだけ観ても飽きない<本能的欲求>のなかには、現実からかけ離れたものを経験したいという思いがある。
日常的な感情、感覚からかけ離れたものに自分をさらしたくなる人たちは多い。ホラー映画を観ることは一見ネガティブな経験のように思えるが、日常的な経験からはかけ離れているため、満足感を得るというワケだ。
現実からかけ離れているから、夢中になってしまうのだ。ただし、ホラー映画を楽しむためには安心感が必要。ニュースで聞く銃声音にはビクッとするのに、映画での殺害シーンは楽しんで観ることができるのは、単純に安心できているかどうかの違いである。「スクリーン越しのフィクションだと潜在的に分かっていること」が、何よりの条件である。
もしホラー映画を観ながら楽しいデートをしたいと考えているならば、少し控えめでポップなものがオススメ。触れ合いやすいだけでなく、絆が深まることが科学的にも証明されているから。