また、あの「せんべい」入りのお鍋を思い出す季節がやってきた
私がこの郷土料理の存在を知ったのは、大学生の頃。通っていた大学の学部は、二~四年生の三年間、青森県十和田市で過ごすことになっていた。引っ越した当時、馴れない土地ではさまざまな「はじめまして」があったが、これもそのひとつ。ある日のスーパーでのことである。
「見てこれ! 鍋にせんべい入れるんだってよ!」
とコーフン気味に友達が持ってきた商品、それが「八戸せんべい汁」だ。
みんな最初は
「げっ…」って言う
件の「八戸せんべい汁」とは、肉や魚、野菜やきのこなどでダシを取った汁の中に、小麦粉と塩でつくる鍋用の南部せんべいを割り入れて、煮込んで食べる青森県八戸地方の郷土料理のこと。およそ200年くらい前から食べられているという歴史ある食べ物なのだが、「汁物の中にせんべい」というその見慣れないビジュアルに、初めは誰しもが戸惑いを覚えるのだ。
しかし、食べてみると予想に反して忘れられなくなるほどの味。「どうしよう…」と思いながらも少しでも好奇心が湧いているのなら、思い切って食べてみてほしいのである。
いろんなものがしみ込んだ
とても不思議な食感
八戸せんべい汁の普及と、この郷土料理を通して街を元気にする活動を行なっている団体「八戸せんべい汁研究所」によれば、そのおいしさのポイントは以下の5つだという。
1、ダシの旨みがせんべいにしみ込むこと
南部せんべい自体は、もともとクセのない味。肉や魚、野菜など具のダシがしみたところにそのせんべいを入れて煮込むから、旨みがたっぷりしみ込むというわけだ。
2、煮込んだせんべいの独特の食感がすごい
食べ頃に煮込んだせんべいは、独特のシコシコした食感に。これは、パスタならアルデンテといったところ。ちょうどよく煮込まないと硬すぎたり軟らかすぎたり、本来の食感が楽しめない。
3、栄養豊富でヘルシー
八戸せんべい汁は、肉や魚、野菜やきのこ、豆腐や糸こんにゃくなど、具をたくさん入れるのが一般的な作り方。また、せんべい自体は小麦粉、塩、重曹だけで作られる自然食だから、栄養豊富でヘルシーな健康食なのだ。
4、南部せんべいの食文化が詰まっていること
昔から今に至るまで、八戸地方で愛食され続けてきた南部せんべい。お菓子としてだけでなく、さまざまな調理法で南部せんべいを食べ尽くしてきた食文化から生まれた、集大成のような郷土料理が八戸せんべい汁なのだ。
5、作ってくれた人の愛情がしみている
家庭料理として食べ継がれてきた八戸せんべい汁。おかあさんやおばあちゃんの家族を思う気持ちが、その根底にある。お店の人も、そんな郷土料理の精神を大切にして作ってくれるし、せんべいや具の材料だって、愛情がいっぱい。だから、身も心も温まる料理に仕上がるのだ。
川魚や鯖の缶詰と合わせるなども
アリらしい
代表的な味付けは「鶏・醤油味」「魚・塩味」「馬肉・味噌味」の三つ。
中でも最もポピュラーな組み合わせは「鶏・醤油味」だ。野菜やキノコ、糸コンニャクなどを入れ、長ネギを散らして食べるのが一般的。鶏の代わりに鴨肉や豚肉を使うこともある。
「魚・塩味」なんかは海の幸が豊富な八戸らしい組み合わせ。ウグイなどの川魚を入れたり、サバの缶詰や、白身のキンキンやタラ、焼きサバなどを使用することもあるそうだ。
そして、馬の産地でもある八戸地域。馬肉鍋(桜鍋)を食べた後に、うどん代わりにせんべいを入れて食べたりすることもあるという。
ちなみに私が青森にいた頃によく食べていたのは、オーソドックスな「鶏・醤油味」。誰かの家に集まって、みんなで囲んだ鍋の味は何よりとても温かな味がした。大学を卒業してもう10年以上も経つけれど、今日は肌寒いなぁと思うちょうど今ぐらいの時期には、決まってこの料理を思い出してしまう。
例に漏れず、初めて見たときは思わず「げっ…」と言ったけど、いつのまにかその味は、私の心のせんべいにもたっぷりしみ込んでいたようである。八戸せんべい汁は、私にとって忘れられない、ちょっと渋めの青春の味なのだ。