まだ飛行機が一般的な旅行手段ではなかった時代、ロンドンからパリ、そして東欧を駆け抜けてトルコ・イスタンブールへと至る「オリエント急行」という列車がありました。個室の寝台車や豪華な食堂車を連ねて走る列車で、東方(オリエント)へと向かう紳士淑女が、当時コンスタンティノープルと呼ばれた街を目指し、さらにその先のアジアへと旅していたのです。
イスタンブールへと通じるオリエント急行は様々に形態を変えながら、1977年まで走り続けました。映画や小説の題材になるなど、今なお「豪華列車の旅」の代名詞として知られています。
現在もイスタンブールの中心部に残るのが、当時のオリエント急行の終点、シルケジ駅。イスタンブールのヨーロッパ・サイドと呼ばれる側の、まさに海の横に駅があり、歩いて目の前にはボスポラス海峡の渡し船乗り場があります。オリエント急行の旅人たちは、ここから中央アジア、中東への玄関口である対岸、アジア・サイドへと渡って行ったのです。
夜10時、列車は
ブルガリアへ向けて走り出す…
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そんなシルケジ駅からは、今でもオリエント急行が辿った同じルートを、東欧各地に列車が走っています。当時のような豪華列車ではありませんが、日本でも夜行列車がほとんど無くなってしまった今、ひと味違った旅が楽しめるルートかもしれません。
トルコの隣国ブルガリアの首都ソフィアへ向かう列車は、1日1便、夜10時に出発。シルケジ駅では、その名も「オリエント・エクスプレス」というレストランがホームに接して営業しています。コーヒーを飲みながら、ホームに入る列車を眺めてオリエント急行の時代に思いを馳せるのもまた一興。
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夜9時過ぎには後ろ向きに列車がゴトゴトとホームへと入ってきます。「バルカン急行」とも名付けられているこの列車は、ソフィア行きと、ユーゴスラビアのベオグラード行き、ルーマニアのブカレスト行き(こちらは「ボスポラス急行」と呼ばれる)の3本が併結されていて、僕が乗ったソフィア行きは最後尾の1両のみ。
オリエント急行を思わせる豪華さは微塵もなく、車内の表示などから恐らくは旧東ドイツ辺りの中古の寝台車という風情。客は、僕以外は地元の大学生らしき3人組のみ。ファーストクラスというチケットを購入したのですが(イスタンブール→ソフィアで約5,000円ほど)、これは3人用の個室を1人で使える、というだけ。大学生3人組は1部屋に3人詰め込まれていました。
4両編成の客車を機関車が引っ張りますが、ソフィア行きの1両は、一応「国際列車」だからでしょうか、他の車両と行き来が出来ないようにドアには鍵が掛かっています。
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夜10時過ぎ、列車は何のアナウンスもなく、シルケジ駅を出発。真っ暗のなか、有名なアヤソフィア寺院やブルーモスクの側を通り抜けて、列車は一路、西へ。到着予定は翌日の朝10時半。
気づけば、車内販売などもちろん無く、オリエント急行のような食堂車も無し…。
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このままソフィアまでゆっくり眠って行けるのかと思えば大間違い。シルケジ駅を出てしばらくすると、線路状態が悪いのか、はたまた車両が古過ぎるのか、ベッドで横になっていても前後上下左右、あらゆる方向に体が揺さぶられます。こんなに揺れる列車は日本では中々お目にかかれません。
揺れに耐えること数時間で、列車はトルコ・ブルガリア国境に到着。眠そうな車掌がパスポートを持って降りろ、と個室のドアを叩いてやって来ます。トルコの出国審査はホームを飛び降り、線路を歩いて渡った先の駅舎のカウンターで行われます。
この間にブルガリア国鉄のディーゼル機関車がやって来て、トルコの機関車と交代。1時間程の停車のあと、今度はブルガリア側の駅に到着。入国審査官が個室までやって来て、パスポートにEUの入国スタンプを押してくれます。時刻はもう3時近く。これでようやく眠ることが出来ました…。
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冷戦時代の駅舎、牧歌的な風景は
「列車の旅」だからこそ
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目が覚めると列車は何処かの田舎の駅に停車中。物音一つしない静かな朝を迎えます。何とはなしに冷戦時代の東欧、というイメージをかきたてる壊れかけの駅舎。おそらくこの駅に降り立つことは無いと思うと、外界と隔絶された「社交場」のような車内を保ちながら、旧共産圏を走り抜けていたオリエント急行の世界観を彷彿とさせます。
車掌のおじさんが個室に顔を出すと、何のためらいもなく「トゥー・アワー・ディレイ」と親切に12時間半の苦行の旅が延長戦に突入することを告げてくれました。
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途中、いくつかの駅に停車しながら、牧歌的なブルガリアの大地を走る「バルカン急行」。
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いい加減、お腹が減って苦しくなってきた頃、ようやく窓の外にソフィア中央駅が見えてきました。
午後12時半すぎに到着した駅は、これまた廃墟のようなホーム。
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同じ区間をLCCで移動すれば、ほぼ同じ値段で、わずか1時間。
しかし、便利になった現代で、オリエント急行が走った冷戦時代の東欧の匂いが感じられる、こんな渋い鉄道旅に挑戦するのも悪くはないと思うのです。