春のような暖かさなので、「思いを伝えること」について考えてみました。
せっかく生まれた思いだから
それは確認してもらったほうがいい
誰かに 感じてもらったほうがいい
誰かと 共有したほうがいい
誰かにその思いの存在を
認めてもらったほうがいい
『思いを伝えるということ』 著:大宮エリー(文春文庫)より
「思い」は、生ものだなあと常々感じます。
たとえ腐ってしまっても、かたちとして残るならまだしも、はじめから「なかったもの」になってしまうこともあって。「なかったもの」になってしまうときって、そこに小さな遠慮や恐怖、あとは「今伝えなくても」という無意識な気持ちがあると思うんですね。
でも、人間って、誰かに伝えてもらってきた「思い」でできているなあと強く思うんです。手段は、いろいろ、言葉でも、言葉じゃなくても。
たぶんきっと、
完璧にはできないんだけれど。
声高に言うつもりはないけれど、自分の中にある思いの「存在を認めてもらう」ことって、できるのであれば、したほうがよいのかもしれません。
それはなにも、一世一代の告白とか、大それたことじゃなくてもよくて。ふと思ったことを、思った瞬間に、目の前にいる好きな誰かに言うとか。
でも、「思い」と、「言葉」あるいは「言葉じゃないもの」。性質がまったく違うもので、ひとつのものを差異なく表現することってたぶんきっと、不可能なのかもしれません。どこかであきらめている部分も、ないと言ったら嘘になります。
わたしたちはどうしたって、「言葉」や「言葉じゃないもの」以上の “思い” を抱いて生活しているからです。
春のような暖かさの日に。
そうそう。わたしが今日もらった「思い」は、お昼にコーヒーを買いにでたときに、同僚の女の子がふと口にした「今日暖かいね、うれしいねえ」という言葉です。
その子のなかに生まれた思いをわたしは確認し、同時に「そうか、今日はうれしい日なんだなあ」と、今日この日をとても好きになりました。
ふと伝えるささいな「思い」は、一瞬で誰かを、幸せな気持ちにすることもできるようです。
大宮エリーが伝えたいメッセージ。つらさ、切なさ、何かを乗り越えようとする強い気もち、誰かのことを大切に想う励まし…エリーが本当に思っていることを赤裸々に、自身も驚くほど勇敢に書き記した、詩と短篇小説。