よく言うんです「ぼくらはあなたたちに人生を狂わされたんですよ」って

2月9日に発売したばかりの写真集が、発売して間もなく完売した。国内のヒップホップシーンを初めてまとめた作品だ。

表紙は、2015年に急逝したアーティスト、DEV LARGE(デヴ・ラージ)。写真を撮ったcherry chill will.さん(以下c)が一番好きなラッパー。重版が決定したと知り、著者に撮影にまつわる話を詳しく聞いた。

cherry chill will.1978年生まれ、青森県八戸市出身の写真家。レコードショップ「CISCO RECORDS」の元スタッフ/バイヤー。

本記事は2記事で構成されている。今と昔の国内ヒップホップシーンについて語ってもらったインタビュー記事はコチラから。

(C)cherry chill will.

DEV LARGE(デヴ・ラージ)。またはD.L。1989年結成のヒップホップユニット、BUDDHA BRANDのメンバー。写真集『RUFF, RUGGED-N-RAW -The Japanese Hip Hop Photographs- ジャパニーズ・ヒップホップ写真集』の表紙。

 

──ずっしりとした重みを感じる写真集です。

 

c「一番好きなラッパーがD.Lさんなんです。自分よりもっと近い人が沢山いらっしゃるので、こんなことを語るのはおこがましいんですけど、真のカリスマですね。

これは、BUDDHA BRANDが十数年ぶりに復活したライブのとき。MAKI THE MAGICさん(キエるマキュウ)の追悼イベントで、みんながいろいろな想いをもって会場に集まった特別な日でした。

そこで、ブッダの代表曲でもある『人間発電所』がはじまったんです。

個人的に好きな曲はほかにもいっぱいあるんですけど、ウチラ世代では『今夜はブギー・バック』級の、ヒップホップファンではない層まで浸透した曲だと思います。誰もが一度はどこかで聞いたことあるって感じではないかな、と。

ラッパー D.L を撮影したのは、このときが初めてでした。

自分はCISCO REDORDSってレコード屋で働いていたので、以前からD.Lさんとはお互いに面識はありましたが、この写真を出したときに『誰が撮ったんだ!え、レコ屋のあいつ写真やってんの!?』みたいな話になって。アーティスト写真として使わせてもらえないかと声をかけられたんです。

それは、喜んで!ってなるじゃないですか。

それから付き合いが深まり、D.Lさんもこの写真をとても気に入ってくれて、メディア用に使うと言ってくれました。

それから1年ちょっとで亡くなってしまったんですが、今回、写真集の表紙に使用したいという話もご両親はじめ、近い方から快諾していただきました。自分で撮った写真ですが、自分のものでない感覚がありますね。

RhymesterのMummy-Dさんとも先日話していたんですよ。『ズルいよねー。この横顔ひとつで日本のラップシーンの何十年を語ってしまってるんだよ』って。

亡くなって有名になったとかでは決してなくて、生きてるときから最高のカリスマでした。そういうものを絶やさないと言う意味で、写真集として出したかったんです。ZINEとかではなく、出版して、ちゃんと本としてリリースしたかったんです」

(C)cherry chill will.

THA BLUE HERBのラッパーILL-BOSSTINOが、2015年にtha BOSS名義でリリースし、17年間の歴史を総括した初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』に使われた写真。

c「THA BLUE HERBは、97年に一度函館でライブを見たことがあり、20年くらいずっと知ってたんです。ただ、初めてちゃんと会ったのは、この写真を撮影する4ヶ月くらい前。取材で会ったときでした。

ボスさん(ILL-BOSSTINO)は、自分のことを少し知っててくれて、毎年年末にやってるLIQUIDROOMのライブを撮りにきなよって誘ってくれました。

実を言うと、自分が若い頃は彼の音楽と言葉にしっかりと共感できないことも多かったから、THA BLUE HERBが今現在どんなライブをするのか、そこを自分がキャッチして、ボスさんに自分の写真を見せてやろう!くらいに思ってたんですよ。

だけど、ライブが始まったらおれのほうがガンガンにやられちゃった。なぜこの人達を見ず、体感せずにいたのだろうと、恥ずかしくなりましたね。必死でライブに食らいついて写真を撮りました。

終わったあとに『どうだった?』って聞かれたんですけど、ほんと言葉にならなくて。

自分も写真家の端くれなんで、言葉で商売してないから、写真に全部気持ちを込めたんでそれを見て判断してください、って言ったんです。そしたらガッと掴まれて奥のほうに連れてかれて、こう言われました。

『20年やってるから昔から撮ってくれてるカメラマンもいてさ。だからお前にいつでも撮りに来ていいよとか、簡単には言えないんだ。ただ、出身地も函館と八戸で近いし、なんかお前には感じるものがあるから、ちょっと気長につきあってくれよ。頼むぜ』って。

こちらこそお願いしますって感じだったので、家に帰ってスグに仕上げて写真を送ったんです。

そしたらすごいライトに『ありがと見とくよ!』って返ってきて。あの時にあんなに熱い話したのに!って思ったんですけど(笑)。

自分としては、精一杯の写真を撮っていたから、なにかしら引っかかってくれないかなと思って待ちました。ところが、なにも反応がなかった。

ちょっと届かなかったかなあって思ってたんですが、3ヶ月くらいたって突然夜中にメールがきたんです。『いまソロアルバムを制作している』と。

『この20年間俺がやってきたことを、一つのイメージとして写真に落とし込みたい。お前にならそれができるだろ?』って返ってきたんですよ。

おおおお……!やるしかねえってなって。撮ったのがこの写真。

東京で撮影したのですが、彼が思い描いていたイメージを細部までこだわって撮影した、様々な想いと妥協のないこだわりでできた作品です。

緊張という言葉では表現できない位の次元でしたし、この時のボスさんの「目」は忘れられないですね」

(C)cherry chill will.

東京・北区王子出身のラッパー・KOHH。

「KOHHは、デビュー当時からよく撮影していましたね。KANDYTOWNのIO(イオ)やBAD HOPのT-PABLOW、YZEERとかも。みんな喜んでくれてます。

今はInstagramとか、デジタル中心ですよね。紙に極端にこだわるわけではないですが、若い世代のアーティスト達にも写真集というフォーマットがある、日本でもヒップホップの世界で写真集になる、いうことを証明したかった。

情報として消費されるだけではないってことを示したかったんです。アメリカには古くからヒップホップの写真家がいますし。

日本ではまだいなかったので、ここで一回出したいなと思っていました。ベテランの人も、若い人も喜んでくれています。

価格は税込み3,240円。4,000円を超えるとちょっとハードル上がるけど、CDと同じくらいだったらまだ買えるかなって。

若い子は写真集に手を出しづらいと思うんで、なんとか出せる価格にしたかった。印税を削るしかありませんでしたから、ほぼほぼないようなものなんです(笑)。

でも、このクオリティで出したかったんですよね。この厚さで」

(C)cherry chill will.

DJ HONDA。アメリカを拠点に活動するヒップホップDJ

c「この写真は、DJ HONDAさんのDJプレイを初めて生で見た日でした。感動しましたよね。本物だ、みたいな。映像で見てた人が目の前で90年代当時のスクラッチを、くわえタバコで。渋さ、貫禄、凄かったですね。

日本人が本場アメリカ、NYでも通用するということを証明したパイオニアです。

ファースト・アルバムは当時の第一線のラッパーと一緒にやってたし、ジャズトランペッターの日野皓正さんとも一緒にやっていましたよね」

 

──「h」のロゴはヒップホップ好きでなくとも有名ですよね。ただ、ロゴは知っていても、どんな存在なのか知らないという話も耳にするので、伝わっていないこともたくさんあるのだなと。

 

c「イチローがキャップを被っていましたしね。ぼくらの世代はリアルタイムで見ていたから、説明不要なレジェンドなんですけど。

日本語ラップの発展というよりは、ヒップホップそのものを発展させた人なのではないかと思います。

ジブさん(Zeebra)にもよく言うんですけど、自分らの世代はこの人たちに人生狂わされたんですよ。ぼくらの世代はあなたたちに狂わされたんだから、もう後戻りできないんだから、お願いしますよほんとに!ってよく言ってます(笑)。

そのくらい影響されたし、そういう人たちがいまだに第一線でやってるっていうのは大きい。90年代には写真撮ってなかったので、いまこうして撮らせてもらってるのは嬉しいし、呼んでくれるだけでも嬉しいし、夢みたいな話ですね」

(C)cherry chill will.

写真集は2008年に撮った初めての仕事から始まる。2009年に発売されたDABOのアルバム『HI-FIVE』に使われた写真だ。

それから、京都出身のラッパー・ANARCHYの撮影などを経て、活動の幅を拡げてきた。最後に掲載されているcherry chill will.とANARCHYの対談では、より詳しい経緯や、アーティストとのやりとりなどが語られている。

売り切れで手に入らなかったという声もあったが、本日3月9日から再度店頭に並ぶ。今と昔の日本のヒップホップシーンについて語ってもらったインタビュー記事はコチラから。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。