伝説の子ども番組『ウゴウゴ・ルーガ』のDNA

「おきらくごくらく!」

というセリフ。知っていますか?

1992年の放送開始後、たった1年半ほどで終わってしまったにも関わらず伝説化している子ども番組『ウゴウゴ・ルーガ』の合言葉です。

当時最先端の3DCGを使ったVR空間や、子どもたちと個性的なキャラクターたちの過激なやりとり、その奇想天外な展開などなど、25年以上たった今も影響力アリ。

リオ・パラリンピック閉会式で使用された楽曲『東京は夜の七時』の原曲は、この番組のゴールデン生放送版『ウゴウゴ・ルーガ2号』で、ピチカート・ファイヴが歌っていたオープニングテーマ。

人気TVアニメ『ポプテピピック』の制作チームは、影響を受けたテレビ番組として紹介しました。

一体どんな流れで伝説の番組は生まれたのでしょうか。そんな疑問について、生みの親である当時のチーフディレクター、福原 伸治(ふくはら しんじ)さんにお話を聞きました。

 

──どういった経緯で生まれた番組だったのでしょう?

 

福原:もう25年も前の話ですからどこまで確かか不安ですけど(笑)。その前まで歴史を遡ってみましょうか。

フジテレビ入社1年後に編成部へと配属され、1987年に『TV's TV』という番組を制作したんです。初めて企画した番組でした。

ブラウン管モニターはテレビ番組を映すだけのものではないというコンセプトをもとに、ゲーム映像や、ミュージックビデオ、環境映像、監視カメラの映像など、100のコンテンツをかき集めて流していたんです。

今では普通かもしれませんが、テレビの中に100個のテレビ画面が表示され、それぞれの映像をひとつずつ放送していく、という番組でした。

ネットで見れますが、あれは狂ってますよ。

 

──(笑)。今でいう、YouTubeのような。

 

福原:そうですね。まだ、ウィンドウズが出る前で、マッキントッシュも高価だった時代です。

一緒に仕事をした制作会社は、SEDICという会社。彼らは日本に入ってきたばかりのアミーガという、グラフィックや音楽に優れたコンピューターも使っていました。

後に『ポケットモンスター』をつくったチームです。

『MOTHER』シリーズのプロデュースをし、現在は株式会社ポケモン社長の石原 恒和(いしはら つねかず)さんや、『ポケットモンスター』をつくったゲームクリエイターの田尻 智(たじり さとし)くんも関わっていました。

田尻くんが「カードを交換するみたいにキャラクターを交換したい」と言っていたことをよく覚えています。

そんな制作チームの一員に、世界トップクラスのメディアアーティスト、岩井 俊雄(いわい としお)くんもいました。

 

──そうそうたるメンバー。

 

福原:今、岩井くんは絵本作家をやっていますが、メディアアートの基礎をつくった天才です。

彼が坂本 龍一さんとやった音と映像の『Music Plays Images x Images Play Music』は、世界的なメディアアートの祭典、アルス・エレクトロニカで97年に金賞をとりました。これは素晴らしかったですよ。

演奏している音が映像に作用し、その映像を変化させることで演奏にも作用する。今では世界中のアーティストがやっていることです。

そんな岩井くんに、科学番組をやろうよと話をしたんです。表現方法としてコンピューターのデスクトップをテレビ的にやったらどうなるかと、立体でできないかと相談してつくったのが『アインシュタイン』という番組でした。それが1990年です。

バーチャル・リアリティと実写を融合させた『ウゴウゴ・ルーガ』の前身です。

 

──『ウゴウゴ・ルーガ』は、そのチームの続編だったんですね。当時、『アインシュタイン』の制作現場はどんな様子だったのでしょうか。

 

福原:最初は、お金がないから写真スタジオにカメラを持ち込んでやっていました。あとで編集・構成をするというよりも、3台のVTRカメラに1台ずつアミーガをぶら下げていまして、ほぼすべてその場でセットを合成して、アナログ合成で撮っていました。

『アインシュタイン』の頃は、まだ26~7歳。スタッフもごく少数に限られていたので、最初の収録は、会社に電話して手が空いている人に手伝ってもらっていましたね。

 

──それから朝の子ども番組を制作することに。

 

福原:ゴールデン用の子ども番組の企画を出したんです。それもCGを使ったものだったんですが、じゃあ朝に帯でやらないかと始まったのが『ウゴウゴ・ルーガ』でした。

ベースとして最先端の技術を使って新しいテレビ表現をしようというのはありました。で、子どもが喜ぶのは現実にない世界ですから、テレビの中にしかない世界があればきっと喜ぶ。それがバーチャル・リアリティだった。

だから、CGのセットに子どもがいて、CGキャラクターがいた。セットが移動したり、キャラクターの表情が動いたりするのも、岩井くんがMSX(パーソナルコンピューターの一種)を使ってイチからプログラミングしてつくったお手製のものだったんです。

そうして、テレビを通してしか行けない、世の中にはない世界へ入るということを、アニメではなく、CGと実写を合わせて実現したんです。

 

──福原さん自身は、どんな番組から影響を受けていたのでしょう。

 

福原:子どもの頃見ていた『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』や『カリキュラマシーン』は非常に画期的だったなと思います。よく覚えていますよ。短いギャグが連発される。

 

──調べてみると、短いコマーシャルが連続するような番組構成で、アニメーションや舞台装置で次々と場面転換していくテンポなどが共通していますね。

 

福原:どちらも制作チームが一緒なんです。大人の世界を子どもに持ち込んだのは『カリキュラマシーン』がはじめてではないでしょうか。そのほかは、『テレタビーズ』のシュールさも印象が強いです。番組を制作する際にも影響を受けました。

ウゴウゴは、いわゆる本音と建前の、ホンネの部分をやろうというものだったんです。子どもって、ホンネが好きなんですよ。

それに、制作スタッフに子持ちがいなかった。プロデューサー以外は全員20代。結婚してるのも、僕とプロデューサーくらい。みんな子どもだったから、自分が楽しければ楽しいだろうという感覚でした。理屈では考えてませんでしたね。

その頃、もし子どもを育てていたら、もっと違っていたかもしれませんね。真面目な番組だったかもしれない。でも、子どもってうんちとか好きでしょ?(笑)。

 

──はい(笑)。今番組を見ても、表現が過激で驚きますよね。クレームはありませんでしたか?

 

福原:うーん。もしかしたら来ていたかもしれませんが、我々のところにまでは来ませんでした。うまく上司がとめていたような気はします。

Webはダイレクトに来ちゃうでしょう。昔は、手紙や電話の時代だから、直接聞こえてこない。

だから、届かないがゆえにできたことでもあると思います。今は、燃えやすいですよね。SNSがあったらあんなふうにはならなかったと思いますよ。もしあったら悩んじゃってた気はします。

今は意見が多すぎて引っ張られてしまうので、昔とは違うんだろうなと思います。そんな中でしたから『ポプテピピック』は素晴らしいですよね。そういう時代に正面突破で来たなと。

 

──大胆ですよね。

 

福原:15分、声を変えてやってみたらどうだろう?っていうのはナイスアイデアだなと。あの発想はなかなかできません。

 

──もし、また子ども番組をやる機会があったら、どんなことをしたいと思いますか?

 

福原:たぶんやりませんね。ある程度やりきりましたから。アドバイスはするとは思うんですけど、もう感覚がわからないでしょうね。

ウゴウゴについても、話題になるかどうかなんて考えてなかったんですよ。最初に編集したものができあがったときは、これでいいのかな?大丈夫かな?って思いましたから。

不安だったので、一応年上のスタッフに見せたりしました。「ちょっとこれはすごいよ……!」って言ってくれたのは明確に覚えているんですけど、放送時間が早朝だったから、はじめは数字も出なかった。

だんだん話題になり始めて、夕方にもやろうという話になって、ブレイクはそこから。

それまではなんだか面白いのやってるぞ、みたいな感じ。しかも、結局1年半しかやってないですから、せまーいところの話です。

 

──とはいえ、やっぱりその影響は大きいですよ。今でも奇抜さをはかる基準のような扱いで、番組名が使われているところを見かけますから。

 

福原:たしかにウゴウゴの人気からか、真面目だった『ひらけ!ポンキッキ』が『ポンキッキーズ』でガラッと雰囲気を変えたりもしました。

でも、僕自身、最初は本当に子どもに興味がなくて、ウゴウゴくんとルーガちゃんなんて、ひとつの入力デバイスのつもりでしかなかったんですよ。

ところが、結局最終的にあの子たちを一番可愛がっていたのは僕だったんです。周りからそう言われて、最後の3~4週間は別れるのがつらくて、突然街角で泣きだしたりしていたんですけども(笑)。

最初は、子どものためというよりも、マイノリティのための番組だって言っていたんです。

 

──そうなんですね。

 

福原:だから、完璧じゃない個性的なキャラクターがたくさんいて、SMとかドラッグ・カルチャーのイメージもあったり、英語やフランス語、それだけではない、いろんな外国の言語があるよって、ある程度そのつもりでやっていた。

今で言うダイバーシティです。いろんな人がいて良いんだよって、子どもにも言いたかった。

CGやらなんやら使ってても結局は子ども番組だったんです。だからこそ、ウゴウゴくんとルーガちゃんに助けられていたんだなって、この子たちのためにやってたんだなって思いましたね。なるほどなと。

 

──素敵な話です。マイノリティのためだったコンテンツがこれだけ多くの人に届いたというのは、とてつもないことですし。どうやって広めようかと、考えたりしたんでしょうか?

 

福原:テレビって、ある程度たくさんの人に届くようにつくっているので、マイナーなものをどうやって広く届けるかという考え方はしませんでしたね。

そういうときに考えるのは、どうわかりやすくするのか、どう翻訳するのか、ってところ。

 

──なるほど。

 

福原:ウゴウゴみたいなのは偶然じゃないでしょうか。玉を投げたらたまたま当たった。

そういう意味では、今ではWebのほうが玉をたくさん投げられますよ。テレビは影響力が大きすぎて難しい。

ボリューム層は、地方にいる保守的な人たちだったり、マジョリティだったりしますし。ボリュームが多いので、コミュニティをつくるにも月イチのイベントを開催するのは逆に難しいのではないでしょうか。

Webなら、小さな規模のコミュニティをつくって、実際の場にも呼びやすいでしょう?

 

──そうかもしれませんね。ところで、25年以上前から最先端のテクノロジーを活用してきた福原さんに聞いてみたいことがあるんです。「昔のインターネットは良かった」という意見を耳にすることがあって、何か感じるところはありますか?

 

福原:良いも悪いもありませんね。それは、その人たちにとって、そのときそうだっただけ。ネットはただただ進化している。

新しいものが出てきたことに対して、世の中がフィットしていない部分はたしかにあると思います。政治や世代間のギャップ、会社のシステムなどなど。

そういった昭和の名残のようなものが、ここ数年で変わっていくのではないでしょうか。そんなタイミングにきているような気はしています。

 

──何かが大きく変わるタイミングなのでしょうか。

 

福原:今は面白いフェーズです。興味深いスタートアップ企業がこんなに出てきているのは、ここ最近のことですから。

時代がようやく変わりつつある。21世紀がようやく始まったのかなという感じがしています。

テキストの交換から、ワールド・ワイド・ウェブ(www)になり、音や映像が出てきて……。

僕らがウゴウゴをやっているときには、映像がネットワークで見れるようになるんじゃないかとか、もっとスムーズに動いたら凄いなって、なんとなーく思っていました。

昔は映像を取り込むだけでも大変だったんです。でも、今はすでにそうなっているし、さらに進めばもっと面白くなる。

 

──そう考えるとワクワクしますね。

 

福原:YouTubeのようなものが出るだろうとは昔から思っていましたが、ここまで世界を変えるとは思っていなかった。

スマホも、こんなに普及するとは誰も思っていなかった。iPhoneが出たときなんて、使いにくいという意見がほとんどでした。

どれだけ想像しても、それ以上のものになる場合があるんですよね。

 

──たしかに。

 

福原:1968年に映画『2001年宇宙の旅』が出た時は、メインフレームという大型コンピュータの時代でした。パーソナルコンピュータや端末が出るなんて想定されていませんでした。けれど、突然そういうものが出てきて世界を変えてしまう。

インターネットを使い始めた頃、第1世代はオタクばっかりで白い目で見られていた。これを女の子が使う時代がくるのか?と本当に疑問に思っていました。

アイウェア型ウェアラブルの精度が上がり、そのうちインプラントするような形になっていく可能性もあります。

 

──ちなみに、注目している分野はありますか?

 

福原:うーん。仮想通貨も面白いし、人工知能とか、いろいろありますよね。昔からなんですけど、何かありそうだな、何か面白そうだな、という肌感覚というか、そういうものだと思うんですよ。

スマホは持ち運べるコンピューターでしたが、携帯電話に機能をくっつけたことで広まったでしょう?使ってみたら、UIやUXが快適だったということなんです。

だから、何に注目するっていうよりも、我々自身が、柔軟に、これって面白いなと思って、うまく対応していくことのほうが大事。

 

──手探りの感覚。

 

福原:落合 陽一くんはいつもこう言うんです。「テクノロジーがすべてを解決してくれるから日本の未来はバラ色だ」と。

足りないところをテクノロジーが補ってくれる。ロボットが仲介して、わからないことを調べてくれたり、こういうことですよねって会話の手助けをしてくれたり、通訳や感情的な翻訳をしてくれたり。

ただ、それが具体的にどんなものになるのかは、できたときにわかることですからね。

 

──そこがむず痒いし、ワクワクするところですよね。お話ありがとうございました、最後に、今後の活動について教えてください。

 

福原:今、90年代に近い雰囲気を感じていて、とにかく可能性があるなと思っているんです。とくに動画ですね。

5Gが出て通信速度が上がれば、動画の再生や投稿にストレスを感じなくなる。パケット通信料も気にならなくなるでしょう。オリンピックの頃には大容量Wi-Fiも出るかもしれません。

テレビとは違う世界観があって、料理やクイズ、ライブコマースなど、これまでに考えられなかったものが同期している。そういったものを使って、コミュニティをつくったりもしてみたいですよね。

4月からBuzzFeed Japanの動画統括部長になりました。最先端のテクノロジーを使うということも考えていますが、新しい表現方法がもっと生まれてくると思っていますよ。

取材協力 福原 伸治
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。